癒すこと・探求することについて、ホリスティックセラピストの意図と役割についてお伝えします。

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癒すこと、探求すること   セラピストの意図と役割について

セラピスト・ヒーラーである私にとって、癒すこと探求することは、比類なく大切にしていることです。

このページでは、なぜセラピスト・ヒーラーになったのか?
セッション中の探求は何のためにあるのか?
… などについて、これまでの経験をもとにお伝えしていきたいと思います。

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なぜセラピストになったの? という問いに対する答えは?

セラピストとして仕事を始めた頃、ご縁があり、 同業の方々、十数人のメーリングリストに参加させていただいたことがあります。

メンバーそれぞれが地理的に離れたところで仕事をしており、みなが顔見知りということではなかったため、 毎回、いろいろなテーマで意見を交換し合い、 よい刺激をいただいていました。

カウンセリングやセラピーをなさっている方は、覚えがあると思うのですが、 個人で開業していると、孤独な状態に陥りがちです。

身近なところに信頼できる相談相手があれば良いのですが、 同業者でないとわかりにくい事柄がたくさんあります。

また、相手が同業者だと、逆に打ち明けにくいこともあります。

基本的に同業者はライバル…と思っておられる方は多いですし、 そこまでではないにしても、弱音を吐きたくない、内情を知られたくはないと思うことは少なくありません。

そうした状況で、しがらみがなく、適度な距離感で、意見を言い合える機会は貴重でした。

このメーリングリスト上のやり取りで、 私が最も興味を抱いたのは、なぜセラピストになったのか? という問いかけでした。

人はなぜセラピストになるのでしょうか?   どうしてセラピストという仕事を選択したのでしょう?

いちばん印象深く感じたその答えは、 「人間に対する興味から」というものでした。

メンバーのうちのかなり多くの方々が、このように答えられていて、 実は、密かに驚きました。

…というのは、私がセラピストになろうと思った理由は、 シンプルに「癒すため」。
より正確に言うと、「他者の癒しのサポートをさせていただきたいと願ったため」 であったからです。

それ以外のことなど、頭をかすめもしなかったので、 「人間というものに対する興味」は、実に新鮮に感じられました。

癒し… それは他には代え難い大切なミッション

月日は流れ …  先日、セッション中に、あるクライアントの方と お話をしていた時のことです。

「探求がしたい、だからセラピストを目指している」 とその方がおっしゃった時、 ふいにこのメーリングリストのことが思い出されました。

人は、人の中で生きる存在‥と言いますが、 ほかの人の考えを聴くと、その人への理解が深まると同時に、 我が身を振り返り、自分のことが、いっそうよく分かるようになるものです。

私は、「癒す」こと、「癒しのサポート」をすることが、 自分にとって、どれほど大切で、切実なものであるか、 今では、身に沁みて自覚できるようになりました。

私にとって癒しとは、他には代え難く、かけがえのない、 意義深く、価値ある仕事なのです。

なぜならば、癒しを待ち望んでいる領域や、癒しが必要な体験が、 少しずつ癒されていくにつれて、その人の人生が、目覚ましく変容していくためです。

健やかさや身体的なコンディションはもちろんのこと、 精神的にも満たされ、朗らかになり、心の平和が訪れ、 自己信頼、自己受容が深まっていきます。

すると、そのことに連動して、周囲にいる人々も変わり、 人間関係が癒され、出会う人、お仕事、住む場所、体験する出来事など、 あらゆることに、ポジティブな変容がもたらされていくのです。

自分を癒してきた個人的な体験からも、 セラピストとしてセッションをさせていただいたケースからも、 そうなっていく現実を目の当たりにしてきましたので、 確信をもって、そう言えます。

興味・探求心と癒しとの関係は?

では、「人間に対する興味」や「探求心」には、 どのような意味があるのでしょうか?

癒しとは、第三者であるセラピストが、 引き起こすもの、与えるものでは決してありません。

その方の中に在る自己治癒力が動き始め、 ご自分でご自分を癒す…というのが真実であろうと思われます。

セラピストの役割は、その方が、ご自分で心・体・魂と向かい合い、 自己治癒力を、最大限、発揮するためのお手伝いをすること。

それが「癒しのサポート」をさせていただくということになります。

サポートをするに当たり、その方へのあたたかい関心と共感、誠実さ、 「その方にとっての真実」を理解しようとする姿勢は不可欠なものであり、 それを支えるのが「人間に対する興味」や「探求心」ということに なるのではないでしょうか?

それに対して、もしも「ヒーリングマインド」を持たずに、 科学者のように冷静な態度で探求に臨むのだとしたら、 果たして、癒しは起こるでしょうか? 「その方にとっての真実」に、その方は到達できるでしょうか?

おそらくそうはならないでしょう。

セラピストが、ヒーリングマインドを欠いた探求をするのであれば、 それは、「癒し」にも「変容」にもつながることなく、単にセラピストの興味や探求心を満足させるだけのものとなるでしょう。

「癒し」を離れて、探求のための探求が行われる場合についても同様です。

入り江と青い水の風景の画像      >セラピストのプロフィールに戻る

探求って何をするの?

それでは、このあたりで、実際に行われている個人セッションに目を向けてみましょう。

セラピスト・ヒーラーによる個人セッションの目的は、「癒すこと」。

それは間違いないことなのですが、実は、癒しだけが目的であるとは限りません。

たとえば…

「今、お付き合いしている相手が、ソウルメイトなのかどうかを知りたい…」

「なぜ建築にこれほど惹かれてしまうのか、その理由を知りたい…」

「お菓子作りが大好きなのはどうして?」

このようなテーマでセッションをご希望になる場合、 クライアントの方には、困っているお悩みや解決しなければならない問題は、特にありません。

そのため、癒したり、解放したり、変化を起こしたりする必要がないのです。

このようなケースでは、その方がご自分で理由を知り、理解されることが セッションのテーマとなります。

探求とは、その目的に向かってセッションを進め、探し求め、見つけ出すプロセスです。

このように、セッションには、探求という目標と、癒しという目標が存在することになります。

私のケースでは、1つのセッションで、その両方が求められる場合が、 圧倒的に多くなっています。

探求と癒し… それは、私にとって、セッションには不可欠で重要な要素なのですが、 一つ一つについてよく考えてみると、単純にはいかない問題が垣間見えてくるのです。

研究すること・癒すこと   目的が異なるセッションで何が起こる?

もう一つ、お伝えしておきたいのは、前世療法・過去生セラピーのことです。

前世療法という言葉を聞いて、どのような印象を持つでしょうか?

この前世療法というセラピーには、すっきりと割り切れない要素が含まれており、 相手や場面、言葉選びなどを間違えると、得も言われぬ怪しさやいかがわしさで 否定的に受けとめられてしまうことがあるものです。

ですので、話題にしたり、文章に書いたりする時には、少し配慮が必要となります。

私が 前世療法のために作ったウェブサイトとブログ にも、幾度か書いたことがあるのですが、前世療法をされている前世療法セラピストの方々には、 それぞれに異なる立ち位置がある…と感じます。

その中で典型的なものは、「前世はあります」という立場です。

その方々にとっては、前世・過去生は在るのだということが明白な事実であり、 そのことを前提として前世療法をされています。

それに対して、前世療法は、心理療法の一つであるという考え方があります。

前世・過去生が存在するか否かについては、検証が困難ですが、 それはちょっと脇に置いておいて、 いわゆる前世・過去生(現在とは異なるもう一つの人生のイメージ)を再体験することによって、 解放、癒し、気付きなどが得られるというスタンスです。

私は、この立場から情報を発信し、前世療法セッションをしてきました。

ほかにも、そのセラピストの方独自の捉え方やご意見が、数々あることでしょう。

立場の相違があるのは、プロのセラピストだけではありません。

これから前世療法を学んで、いずれ前世療法セラピストになりたいと志す方々の中にも、 上記のような異なる立場や意見があるようです。

これは、前世療法スクールで実際にあった話ですが、 前世・過去生に大きな関心を持ち、 「前世があるか否かの検証をすること」を目的として、 前世療法スクールに入学される方々がおられるようです。

前世療法スクールとは、プロのセラピストとして、クライアントの方に対して前世療法を行えるようになるためのスクールですが、それ以外の目的であったとしても、そのスクールの入学要件を満たすならば、入学や受講は可能となるでしょう。

けれども、その方々が、スクールを修了された後、どのように前世療法セッションをされるのか? ということを想像してみると正直なところ、少し違和感を覚えます。

クライアントの方が、潜在意識から現れる前世イメージを受け取りながら、 再体験されるプロセスが進んで、セッションを終えた後、 「このように、前世・過去生は、間違いなく存在しています。このケースがそれを裏付けています。」 と言われるのでしょうか?

そのような主張自体は、個人の自由な表現ですので問題はありませんが、 前世療法の中心的な動機や目的が、実在することの実証や検証となり、 クライアントの癒しや気付きが二の次になっていくとしたら、それは望ましいとは言えません。

望ましくないどころか、クライアントの癒しや変容にとっては、 セラピストの誘導の軸がずれて、クライアントの自発性が阻害され、 有害無益なものとなる怖れすらあるのではないかと危惧します。

セラピストが主導する探求が、冷静かつ実利的であればあるほど、クライアントの心情よりも、検証したいという目的の達成に直結するものとなるでしょう。

セッションでは、最初にテーマや目標を選び、セラピーは、その目標が達成されることを目指して進められます。

この場合は、そもそも目指すゴールが、癒しではなくなり、 実証をメインの目的とする探求で終わってしまうのではないでしょうか?

そうなったとしたら、クライアントにとっては必ずしも有益ではなく、時には有害となる怖れさえあるかもしれません。

そのクライアントの方のご希望が、何かを探求することであり、セッションの目的が「探求」であるならば、このようなケースもあって良いかと思いますが、 クライアントの方の望みよりも、むしろセラピストの探求したい欲求が優先される運びになっていったとしたら、セラピーとしての意義は薄れるばかりです。

丘の上の草原とベンチの風景の画像

トラウマ体験と、それが癒されていくプロセスは、主観的なもの

心の痛みと苦痛、トラウマ体験で受けた心身のダメージは、その方によって異なっています。

たとえば、同一の自然災害を、同じ町内で体験していたとしても、その体験がどのようなものであったのか…というところは、お一人おひとり違うからです。

あらゆる体験は、その方にとっての特別な体験であり、主観的なものなのです。

ここで、前世・過去生における自然災害のトラウマを例に挙げてみましょう。

イメージ世界でトラウマ的な自然災害を体験している時、

トラウマ体験が、そのクライアントの方にどのようなダメージを与えたのか?

その方がその体験を、主観的にどのように体験されたのか?

その体験の中で、どのような思考、感情、感覚が生じたのか?

その結果、その方はどうなっていったのか?

セラピーにおける探求では、その方の思いに寄り添い、丁寧に言葉を受け取り、共感し、 時にはよりクリアなイメージを引き出していくことが求められます。

もしも前世・過去生の実証と研究がメインであったならば、

■その自然災害は、実在した災害なのか?

■それはいつの時代のものなのか?

■地球上のどのあたりで起こったものなのか?

■どの範囲に影響が及んだのか?

■後世にも語り継がれていったのか?

…ということのほうに、ウェイトが置かれるかもしれません。

セッション後には歴史的な資料を集めて照合し、裏付ける作業も必要となるでしょう。 客観的な事実が得られないと、実証は出来ないからです。

客観的な事実を採集するために、クライアントの主観的な体験を利用するのは、 本末転倒と言えるでしょう。

すべての探求は、癒しのために…

まとめてみると、セラピストによるセッションには、2種類があります。 1つは探求(のため)のセッション、もう一つは探求したうえで癒すセッションです。

後者のセッションでは、探求するだけでなく、そこからさらに、 癒す、軽減する、解放する、統合するなどを目指して進めていくことを確認しておきましょう。

探求することは、なぜその問題やお悩みがあるのかという起源に立ち戻り、 どのような出来事、どのような状況によってその問題が始まり、 なぜ現在まで続いているのかを解明し、その経緯を十分に理解することです。

探求して理解することによって、不可解な謎が解け、納得がいき、それに伴って、 ご本人には精神的な癒しがもたらされます。

そして、なぜそうなってしまったのかが明らかとなり、その詳細が理解されたならば、 今度は、それを乗り越えたり、解消したり、手放したり、 解放したり、統合したり、変容させたりする癒しのプロセスに進んでいくのです。

その時、何が起こっていたのか?
そのことによってどのような感情や思考が生まれたのか?
どのようなダメージがあったのか?
主観的には何を体験したのか?
その方にとっての真実とは何なのか?
… … などがわからないと、それらを癒すことは出来ません。

探求とは、癒しにとって欠くことのできない要素であり、 癒すためには探求が必要であるということになるでしょう。

探求することによって、その方の主観的な体験と、どのような癒しが必要であるかが分かり、癒すことが出来るようになります。

探求の先に癒しがあり、探求は癒しの手段であるとも言えるでしょう。

一時的な気晴らしではなく、心の深層と向かい合い、シャドウに光を当て、 本質的・持続的な深い「癒し」を体験した方であれば、 それによって、日常がどれほど変容し、心身が軽やかになっていくか、 既にご存じのことと思います。

それは、まるで新しく生まれ変わるような体験であり、 新しい可能性がひらかれていくための入り口となります。

生きている喜びがあり、ここにいて良いのだという安心感があり、 人々や世界とつながっている感覚です。

あきらめてしまった問題や、 慣れ過ぎて放置されているお悩みがあるならば、 今からでも、決して遅くはありません。

癒しに遅すぎたということはなく、取り返しのつかないこともありません。

「癒す」ということと、
「人生を変容させる可能性」について、
ぜひ一度、考えてみていただければと思います。


雪を頂く峰々の画像



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