病気と心身の不調は なぜ起こる?
心身の病気・心身の不調とは、調和(バランス)が損なわれた状態、生命エネルギーが弱まり、免疫力や自己治癒力が機能しなくなっている状態です。
人はなぜ病気になるのでしょうか?
病気になりたいと思う人はいません。
誰もが健やかでありたいと願い、健康診断を定期的に受けたり、
健康に配慮した生活を送り、何らかの健康法を実践されているのではないでしょうか?
そうであるにもかかわらず、一生のうちに誰でも何回かは病気を患い、不調を覚えることになってしまうのは、どうしてなのでしょうか?
常に不調であり不調と格闘した10代から40代にかけての自分自身の経験と、セラピスト・ヒーラーとしての研究成果、これまでのセッションケースなどから、病気の原因には、主として次の4つがあると私は考えています。
自分で作り出した不調和 病気と不調の原因1
まず最初は、自分で作り出してしまった不調和です。
具体的には、不摂生、オーバーワーク、悪想念、自己否定、セルフジャッジメント、トラウマ、信念、世界観などがあります。
不摂生、オーバーワーク
体には叡智が具わっており、人間は、常に自分でバランスを回復させながら生きていますが、 それを越えて過度に無理がかかった状態が、オーバーワークと不摂生です。これについては、特に説明をしなくても、経験的にご理解いただけると思います。
限度を超えて働き過ぎたり活動し過ぎたりする状態や、人体が普通に処理できる以上の負荷がかかり続けている状態は、不摂生やストレスなどの言葉が意味する以上の、致命的なダメージを与えています。
過労や不摂生に陥る時、私たちは、心と体が切り離された状態となっていることが少なくありません。体が悲鳴を上げていても、それに気付くことが出来ないのです。頭だけで思考して、コンディションを無視して頭の中の計画どおりに動いている状態、体に鞭打って酷使してしまう状態です。
誰かの期待に応えようとしていたり、ご自分の理想を追求している場合もあります。
疲労が慢性化していくと、疲労感を覚えることが無くなり、心や感情、感覚と、完全に切り離された危険な状態となります。
深刻なお悩みや心の不調があるために、過労や不摂生に気付いたり対処したりすることが困難となってしまうこともあるでしょう。
悪想念、悪感情
次は悪想念と悪感情です。悪想念・悪感情という言葉から、どんなことを連想されるでしょうか?
自然に浮かんでくるのは、怒り、恨み、憎しみ、憎悪、嫌悪、非難、攻撃的な気持ち、破壊的な気分などですが、実はそれだけではありません。弱気、悲しみ、寂しさ、後悔、罪悪感、悲観、落胆、絶望など、一見、静かで害が無さそうなものも、健やかさを損ないます。
生きて生活していれば、上機嫌でいられることばかりではありません。
怒りや恨み、悲しみなどの否定的な感情が湧いてくる体験も、数々起こっていくでしょう。
感情は、本来、湧き起こってきては流れ去り、消え去っていくものです。この自然な流れを止めることなく、込み上げてきた感情をそのまま受け入れ、感じることが出来たならば、やがて感情は流れ去り、手放されていくのです。
ところが、湧いてきた感情を受け入れたくない、受け入れられない、感じたくないということになると、瞬間的にフタをして、無かったことにしてしまいます。
抑圧された感情は、水面下に留まり、何かの折に意識の中に現れようとします。無意識のうちに行動となって現れることもあります。
また、現れてこなかったとしても、エネルギフィールドの内側では、確実に心身に影響を与えています。たとえば細胞や血管を傷付けたり、免疫力を弱めたりします。
自己否定、他者への否定、セルフジャッジメント
特に大きな問題を引き起こす自己否定
自分という存在に向けられる否定ほど破壊力の大きい要因はありません。
自己否定とは、自分が存在することを受け入れない、認めない、無とみなす、抹消するということ。
否定のエネルギーは、例えるならば、いつ爆発するかわからない爆弾のようなものです。破壊力のある危険な爆弾を持っている人は、それが他者に対して向けられたものであっても、リスクを負います。爆弾を抱えている本人にとっても危険であることに変わりはなく、有害となるのです。
「(自分など)「存在しなくてよいのだ」という否定のメッセ―ジが潜在意識に浸透すると、潜在意識の中で、それは事実として受け取られます。というのは、潜在意識の特性として、事実とフィクションの区別がなく、全ての情報を蓄積していくためです。
もしも「早く死にたい」「人生は苦労ばかりで生きるのは大変だ」「死んで楽になりたい」としょっちゅう思っていたり、口癖のように頻繁に口に出したりしていると、現実に命を落とすような出来事が起こりやすくなっていくでしょう。
「こんな人生はもう嫌だ」「こんな世界にいたくない」と思うのも同様です。
セルフジャッジメント
ジャッジは、多くの人々が、日常的に、当たり前のこととして行っています。ですので、それが望ましくないと思う人はあまりいないかもしれません。
絶え間なく自分や他者をジャッジし続けている人を見かけたことはありませんか?
何かが頭に浮かぶたびに、「こんなことを考えるなんて自分は愚かだ」と思ったり、 上手くいかない時に、「こんなことも出来ない自分っていったい…」と考えたり、 ほとんど反射的に、自動的にジャッジしていることはありませんか?
子どもの頃、学校のクラスで反省会をしたり、反省文を書いたりすることがあったと思います。 反省することは、同じ失敗や過ちを二度と繰り返さないために役立ち、必要であり、進んで反省する姿勢は美徳でさえあるとされます。しかしながら、そこに自己批判や自責の念が含まれているならば、あまりお勧めは出来ません。
「失敗してしまった…」 ⇒ 「だから自分はダメだ」「どうしようもない人間だ…」
となるのは、批判や責めがご自分の資質や能力、パーソナリティに向かうことになりますが、
「失敗してしまった…」 ⇒ 「次は違う行動を選択しよう」と、
自分を責めることなく、気持ちを切り替えて、別の行為や異なる選択に向かうのならば問題は起こらないでしょう。
批判、非難
自分の過去の言動へのジャッジではなく、誰かに言われた不快な言葉や辛い経験について、何度も反芻しては批判し、頭の中でいつまでもぐるぐると考え続けていることはないでしょうか?
その思考や感情は、悪想念・悪感情ということになります。悪想念・悪感情を生み出し、そのなかにどっぷりと浸かっている状態です。
このことが深刻なのは、ご自分がしていることに、ご本人が気付いていないこと、無意識状態で繰り返してしまっていることです。
悪想念と同様に、ジャッジメントもまた、まるで中毒しているかのように、プログラミングが作動し、それが常態となって、破壊的な作用を及ぼしているのです。
お茶を飲んでくつろいでいたり、音楽を聴いてリラックスしていたり、一見、穏やかに過ごしているように見えても、その人の頭の中や心の中では、過去のジャッジと悪想念が何度も呼び起こされて渦巻いている…ということにならないようにしたいものです。
トラウマ
トラウマ的な体験には、さまざまなものがあります。個人としての挫折や失敗だけでなく、他者の言動によるトラウマ、事件に巻き込まれたり、自然災害に見舞われたりするトラウマなど、努力しても、防ぐことが不可能な場合もあります。
けれども、どのようなトラウマ体験であっても、深い心の傷や痛み、ショック、不信感、絶望などの否定的な感情を伴い、身体的に否定的な影響を受け続けます。 そして確実に生命エネルギー、免疫力、自己治癒力は損なわれ続けるのです。
トラウマは、それが存在することが否定されたり、忘却されたりすることになったとしても、無かったことには出来ません。癒され、解放されていくことが必要です。ところが現実には、今すぐにトラウマと向かい合い、癒しと解放に取り組むことが困難である場合もあるでしょう。
トラウマを癒すのにはエネルギーが必要であり、簡単なことではありません。
トラウマを癒そうとする際に、新たなトラウマが生じてしまうことのないように、方法とタイミングを見極めることが求められます。
比較的安全に、その方にとって楽な方法で癒すことは可能ですので、意識の片すみに追いやらず、ゆっくりと、少しずつであっても、そこに光を当て、手当されていくことをお勧め致します。
否定的な信念、制限、悲観的な世界観
健やかさを損ない、病気や不調につながる信念があります。
「人は弱いものだ」「病気には勝てない」「この世界には、病気を生み出す問題があり過ぎて太刀打ちできない」と考えていたり、ご自分のセルフイメージが弱さや無力さに傾いていたりすると、常にそうした枠組みから周囲を見渡すこととなり、その信念・イメージがいっそう強化されていきます。
ご家族や身近な人、大切に思う人を病気や事故で亡くされた経験があると、人生のはかなさ、虚しさ、病気の恐ろしさ、強大さが、その都度インプットされ、悲観的な人生観や世界観につながっていきやすくなることもあります。本当に痛ましいことです。
人は病気にかかる宿命だ、健やかさは稀有なもので、自分とは無縁だ…という思いは、 世界をその色に染め上げてしまい、それに見合った苦しい体験や出来事が起こる可能性を高めてしまいます。
このほかに、ご両親や身近な大人たちの暗い人生観を内面化して、否定的な信念や世界観を持つようになっていく場合があります。
周囲の人々は、否定的な影響を与えてやろうと考え、悪意を持って、故意に仕掛けているわけではなく、自ら受け入れ、ご自分の信念・世界観となっていったものですので、それに気付いて変容させたり手放したりすることは可能です。
他者からやってきた不調和 病気と不調の原因2
ご自分で生み出し、作り上げたわけではなく、人物や環境から受け取ってしまった不調和が、病気の原因となることがあります。意図せずに拾ってしまった場合と、送り込まれた場合があります。
他者から拾い上げてしまった不調和
嫌悪によって侵入するエネルギー
パワハラ気味の上司や殺伐とした職場環境、争い、揉め事、暴力、フラストレーションなどのエネルギーと接触して、嫌悪感を覚え、それらを無意識に拾い上げてしまうことがあります。
嫌だと感じているのになぜ拾い上げるのかと、不思議に思われるかもしれませんが、 嫌悪を持つ時は、好ましく感じる時と同じくらい、強い引力で意識がその対象に引き寄せられ、 エネルギーがオーラフィールドに取り込まれます。
絶え間ない騒音、汚染された空気や水、劣悪な環境、悪想念などが溢れている不調和な場所や人と、立場上、つながりを持たざるを得ないこともあるでしょう。
もちろん、ご自分から進んで不調和を引き受けようとしているわけではありません。
そうであるにもかかわらず、バランスが欠落した不調和の原因のほうではなく、拾い上げてしまったその方のほうが、むしろダメージを受けてしまうとしたら、酷いことだと思います。
共感によって侵入するエネルギー
こうしたケースとは異なり、共感することによって問題が起こってしまうことがあります。
大切な人や愛する人の不調和な想念や感情が、エネルギーとして、その方のオーラフィールドに入ってくるような場合です。
エネルギーは目には見えませんが、敏感な方やエンパスの方であれば、感知されたことがあるのではないでしょうか?
たとえば病院やホスピス、高齢者施設、宗教的な儀式や葬儀関連の場所など、病や臨終、死別が身近にある環境や、その関係者の方、大災害や大事故、犯罪などと関わりのある方の想念や感情、信念などを、気付かないうちに拾い上げてしまっている場合があります。
忌避感や嫌悪はなく、悼む気持ちや厳粛な気持ちでいても、そうなることはあります。
大切なご家族が重い病気を患い、長期間、中心となって看病を続けられていると、その方への愛と共感によって、自分のものではない苦しみや悲観、嘆き、無力感などを受け取ってしまうことがあります。
その不調和なエネルギーは、元々その方が持っている信念や世界観ではありませんが、エネルギーとしてオーラフィールドに留まり、心身のコンディションに影響を与えます。
共感能力が高いエンパスの方、思いやりのある方、愛情深い方、人の気持ちがわかる方ほど、いとも自然に不調和を拾い上げてしまうでしょう。
他者から送り込まれた不調和
愛や共感、嫌悪などは人の心に自然に湧いてくる自然な思いですが、こちらはその方の思いとは関係なく、一方的に押し付けられ、送り込まれるケースです。
不調和なエネルギーは、意図的に、または非意図的に送り込まれてきます。
予期せぬタイミング、予想もしていないエネルギーの場合、ご本人は、何が起こったのかよくわからないこともあるでしょう。
意図的とは、その方の意思や感情とは関係なく、何者かによって、悪意、憎しみ、敵対心、不幸を願う気持ち、呪いなどの不調和なエネルギーが送り込まれ、オーラ内に侵入してくることです。
非意図的とは、その方だけがターゲットとして選ばれたわけではないのですが、自然災害かアクシデントのように侵入してくる場合です。
またこれらとは異なるケースとして、敵意や悪意を持っていない身近な人々からやってきたエネルギーもあります。
たとえばその方が、家を継ぐことを期待されたご長男であったり、病弱であったりする時、ご家族によって、過度の期待や心配、過保護、依存、コントロール欲求、支配などのエネルギーが送り込まれることはよくあることです。
善意のご家族からだとしても、その方にとっては望ましくない影響が及ぶのです。
トランスパーソナルな退行療法である多次元セラピーには、「憑依」という捉え方があります。その方に属していない何らかのエネルギーが、その方に投影され、否定的な影響を与えていることを憑依と呼びます。
誰かに送り込まれたエネルギーは、まさにこの憑依という概念と重なるものであり、時に深刻なダメージを与えますが、多次元セラピーやヒーリングなどを用いて、その実態を探り、と癒して取り外すことが可能です。
暴力から受けたダメージ エネルギーの傷
暴力は、他者からやってくる物理的な攻撃であると同時に、エネルギーレベルでの破壊でもあります。
喧嘩や虐待などで暴力を受けて怪我をした時、オーラ(エネルギフィールド)にも傷を負います。
病院へ通い、打撲や外傷などの治療を受けると、次第に回復に向かいますが、エネルギーフィールドの傷は、身体の傷のようには癒えていきません。
それどころか、時間の経過とともに傷は次第に広がっていき、また深くなっていきます。
そして、身体的にはすっかり完治していても、その後、長い期間に渡ってエネルギーフィールドにダメージを与え続けるのです。
心の傷が残ることについても同様であることは、言うまでもありません。かくも深刻な影響を及ぼし続けるのですから、心身の不調にとって重大な害悪と言えます。
人生の計画 病気と不調の原因3
ここからは、トランスパーソナルな観点に立ち、魂と生まれ変わりを視野に入れて、病気・不調の原因を考えてみましょう。
何をしたくて生まれてきたのかというテーマで、潜在意識にアクセスして探求するセッションでは、魂の計画や人生の目的と呼べるイメージが現れてきます。
トランスパーソナルな退行療法である多次元セラピーでは、人が生まれ変わることについて、人類に共通で普遍的な目的とは、より成長し進化することであると考えています。そして、その共通の目的に加えて、魂に固有の個別の目的があるとしています。
人生の計画には、共通の目的や個別の目的が、最高の形で達成されるために役立つ時代や場所、人種、家族、職業、体験や出来事などが組み込まれるのです。
成長と進化のために
人生の計画に含まれている体験や出来事は、必ずしも楽しく喜ばしいものばかりではありません。
挫折、逆境、困難、試練などもあり、その一つとして、病気や不調があるのは、なぜでしょうか?
いろいろな考え方があると思いますが、病気や不調を体験することが、健やかである人生よりも、その方にとって、たくさんの学びや収穫をもたらすためであると私は考えています。
楽しいことや嬉しいことしかない人生を想像してみると、たしかにそれは平坦過ぎて、成長するには少々物足りないものとなるかもしれません。
ご参考までに、障害を持つことも、こうした計画のうちに、ご本人(の魂)が組み込んでいるという考え方があります。
健常であるよりも、障害があったほうが、はるかにたくさんのことを深く体験し、学び取れるからと、自ら進んで選択されたのであれば、向上心と勇気あふれる選択だと思います。
病気や不調は、辛くて苦しいことであることは間違いないのですが、人格自我のレベルを超えた魂の視点からみると、その方がご自分で選択し、計画してきたという見方があります。これまでのセッションケースから、セラピストとして納得できることが多いのですが、皆さまはどのようにお考えでしょうか?
人生の計画を探求する方法は?
人生の計画は、その方がご自分で立てたものです。
その方の潜在意識には、ライフプランについての情報がありますので、それを探求することが可能です。
これまでのセッションを振り返ってみると、最近、医師からがんと診断され、そのことをどうしても受け入れられないため、悩み続け、なぜ自分ががんになってしまったのかを知りたい…というケースがありました。
がんになった理由を探求した結果、その方がご自分で立てた計画の一つであることがわかりました。そのことでがんが良くなるわけではありませんが、これで理由がはっきりして、被害者意識が無くなり、納得が出来たとおっしゃっていました。
そのほかにも、人生の半ばで難病になった方、生まれつき軽い障害がある方、持病を抱えた方に、人生の計画を探求するセッションをさせていただいたことがあります。
人生の計画や人生の目的を知りたい、理解したい方には、探求のセッションをお勧めしております。お気軽にご相談いただければと思います。
> 人生の目的・魂の計画
カルマ 病気と不調の原因4
■ やりたいことがあったのに、積極的に行動しなかったので、次こそは、思うとおりにやっていきたい…
■ 自分勝手に振舞い、好きなことばかりしていたので、今度は人のためになることをしたい…
■ 生まれた村を離れることなくずっと畑仕事をしていたので、これからは海外の国々を旅して回りたい…
このように、やり残したこと、未完了だったことを、次の機会にこそ完了させたいと望む衝動を、カルマととらえることが出来ます。完了に向けて、ふさわしい姿勢や必要な行動を取り、バランスが回復されるとカルマは完了します。
カルマには、次のようなものがあります。
未完に終わってしまった計画・未完了の仕事
戦争や災害、病気、事故などで中断された仕事、あるいは邪魔されて出来なくなってしまったことなどがあります。やり残したことを埋め合わせて完了させ、バランスを回復するカルマです。そのために、ある転生とは対照的な転生を選択することがあります。
未完了の人間関係・パートナーシップ
恋人同士が引き裂かれたり、恋のライバルとの戦いに破れたり、親と死に別れたり…ということが起こると、もう一度その相手と出会い、人生を共に過ごしたいという強い思いが持ち越されます。
心残り、後悔、罪悪感、自責の念
事業の失敗、重要な選択の誤り、犯罪行為、誰かを傷付けてしまったこと、当然するべきことを怠ったことなど。
怒り、恨み、復讐心
裏切り、謀反、不当な仕打ち、卑怯な攻撃などを受けたことから生じたカルマ、被害者・加害者関係にまつわるカルマが含まれます。
才能・資質を伸ばす、開発する
さまざまな才能や資質は、数転生に渡る鍛錬によって少しずつ培われ、開花していくことがよくあります。芸術的な才能、スポーツなどの身体能力、知的能力、霊的な能力など。
病気とカルマ
因果応報という言葉がありますが、カルマは、誰かに断罪されて生じたものではなく、バランスを回復させるために自ら作り、持ち運ぶものです。
カルマと言うと、輪廻のサイクルにおいて、一つの転生から別の転生へと持ち運ばれる印象が強いですが、一つの転生の中だけで作られ作用し、完了するものもあります。
ここに挙げた典型的なカルマは、病気という形を取ることで、バランスを回復させることがあります。
やり残したことを埋め合わせるカルマ、そして心残り、後悔、罪悪感、自責の念によるカルマは、実際のセッションケースでも、しばしば現れるものです。
やり残したことと 病気や不調との関係
たとえば、ある転生で貧しい家に生まれ、家族のために身を粉にして働き続け、犠牲的な一生を終えたとしましょう。その人生の中で出来なかったことを、次はしたい、取り戻したいという望みが持ち越されたとします。その結果として、病気になることが選択される場合があります。病気になったその人は、元気な家族からいつも気遣われ、優しくケアされ、守られながら過ごしますので、持ち越された望みは埋め合わされ、バランスがとれるのです。
必ずしも病気や障害といった形を取らなくても、周囲から手厚く保護されたり配慮されたりする場合もありますが、病気であれば、自然な形で周囲に受け入れられ、遠慮や気後れなく過ごすことが出来るでしょう。
また別の例では、健康にも才能にも財力にも恵まれ、何一つ不自由のない転生を過ごしたのち、 今度は自由ではなく「制限」を体験したいと望んで、病気を選択する場合があります。
自由と制限の両方を体験し、そこから学べるあらゆることを習得することが、成長や進化に有益であるということなのでしょう。
カルマとは、きわめて複雑なものです。数式や科学の法則のように、常に決まったパターンがあるわけではありません。
ある人が病気にかかることで、周囲の人々(ご家族、ご親族、友人、職場の人々)に、意義深い体験をもたらすことになる場合があります。この場合の病気は、ご本人にとってのカルマ的な必要性というよりは、周囲の人々への協力や援助として彼らの成長を助ける意味合いを持つのです。
いずれにしても、深いレベルでは、ご自分が病気になることを選択されていることになります。
罪悪感、後悔、自責の念と病気
罪悪感、後悔、自責の念などは、通常、何か悪いことをしてしまったり、申し訳ないと感じた時に起こります。
それが客観的に見て重罪に値することであっても、ちょっとした意地悪や陰口であっても、その方が、そのことに対してどのような感情や思考を持ったのかによって、カルマの大きさが変わってきます。さらに、その行為によって、どのくらいの人々が損害や否定的な影響を受けたかということもあります。
加害者となったことから生まれた罪悪感、後悔、自責の念のカルマは、多くの場合、次の転生では逆転した立場を選択させて、今度は自分が被害者となることが少なくありませんが、それが病気や不調という形として選択されることがあります。
カルマは、自分がしたことと全く同じことが、そのまま自分に戻ってくると考えられていますが、必ずしもそうではありません。人を殺したら、次は殺されるかといえば、そうなるとは限らないのです。その方の中で、必要な体験や気付きが得られ、バランスが回復されることになれば、そこで完了します。
カルマによる病気なのだから、仕方がない、打つ手はない…?
カルマについては、前世療法や多次元セラピーのセッションで探求し、癒して解放することが出来ます。
病気や不調の原因が、カルマであることがわかったところで、「カルマならば仕方がない」と諦めてしまう方があります。
カルマは、いくら自分で作ったとはいえ、変えることは出来ないし、変えたりしてはならないものだとお考えなのでしょう。
その方が、持ち続けていたいのでしたら、そのお気持ちは尊重したいと思いますが、実際には、癒して解放することは可能です。
・その時、どのような出来事が起こっていたのか?
・それはなぜ起こったのか?
・自分は何をしたのか?
・あるいはしなかったのか?
・どんな気持ちだったのか?
・その結果、どうなったのか?
…ということを探求し、再体験し、そこから気付きや理解が生まれ、バランスが回復するならば、その後、カルマから影響を受けることはなくなります。
病気や不調にならない選択をするために
病気や不調の原因となるものとして、次の4つについて、順番に見てきました。
1 自分で作り出した不調和 2 他者からきた不調和 3 人生の計画 4 カルマ
1 このうち、自分で作り出した不調和については、マインド・顕在意識で気付き、理解し、癒すために必要な行動を選択することが出来る場合が少なくありません。
もしも心と体が乖離している場合には、その部分から癒していきます。ご希望があれば、過去のトラウマや、親子関係の問題などから生じた不調和について、根本的に掘り下げて癒します。
ホリスティックな癒しのセッションでは、セラピー各種、カウンセリング、コーチング、ライフレビューなどのほかに、ご希望に応じて、セルフヒーリングセミナー、潜在意識の活用セミナー、自分らしさ発見・自己覚知セミナーなども用いることが出来ます。
> 自分らしさ発見・自己覚知セミナー > 潜在意識の活用・自己催眠セミナー
強迫的な信念や病的な思い込みなどがある時は、医療、専門機関などをご紹介しています。
2 他者からきた不調和については、マインドで気付きを得られることもありますが、多くの場合、潜在意識レベルとエネルギーレベルから探求して、解放する方法が良いでしょう。
どこからきているのかわからない不調和や、憑依的なエネルギーであっても、多次元セラピーや各種ヒーリングを用いてワークすることが出来ます。
3 人生の計画と、4 カルマについては、2とおりの方法があります。
まず一つ目は、潜在意識の領域に入り、人生の計画を立てる時点や、カルマの起源となった出来事へと退行して、再体験する方法です。
人生の計画の中に、なぜ病気が組み込まれたのかを理解するためには、その背景にある経緯や動機を明らかにする必要があります。潜在意識の領域から、関連する情報を受け取ります。
カルマがある場合には、その時、何が起こっていたのかを再体験しながら理解し、周りの人々との関係や反応など経緯を見ていきます。そしてカルマ的な出来事にまつわる感情や感覚を癒し、解放を促していきます。
潜在意識にアクセスする方法は、じっくりと再体験することで臨場感があり、マインドで深く理解できるメリットがあります。
もう一つの方法は、エネルギーレベルで解放を促すヒーリングのセッションです。
ヒーリングのメリットは、楽に受けられることです。再体験がないため、マインドでは何が起こったのかわかりませんが、カルマ的な出来事の悲惨さや残虐さをリアルに感じることなく、リラックスした状態で解放が進みます。
ヒーリングでは、広範囲のカルマとエネルギーにはたらきかけることが出来るため、複数の転生に渡るカルマとそこから派生するエネルギーを一気に解放していくことが可能です。
いっそう健やかな日々を求めて…
病気と不調は苦しいものですが、バランスが崩れて不調和なコンディションであること、何らかのエネルギー的な介入を受けていることに気付かせてくれます。
そういう意味では、これからの日々を、いっそう健やかに過ごすための気付きや癒しを得られる一つの機会であると言っても良いでしょう。
マインド、潜在意識、エネルギーレベルから、ホリスティックに癒すことで、病気や不調の背景にあるたくさんの真実が解明され、理解されていくことでしょう。
ホリスティックな癒しのセッションでは、経験豊かなセラピストが、その方のご希望を尊重して、多種多様なセラピー・ヒーリングの中から最適な方法をご提案して進めます。
まずは、お気軽にご相談いただければと思います。 > お問い合わせ
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