自分のことが嫌い… 低い自己価値と自己否定に悩むあなたへ
4月は新年度の始まり、学校では新学期が始まります。
進学、就職、転勤…。新しい環境や人間関係になじめるかどうか、
少し不安を覚える方があるかもしれません。
初対面の人と会って、相手と打ち解けられるのか?
集団や組織の中で、自分の役割や居場所を見つけられるのか?
人生の節目には、こうした不安が頭をよぎるものですが、
その答えの鍵を握るものの一つとして重要なのは、セルフイメージと自己価値です。
すなわちそれは、その方が自分のことをどう思っているのかということです。
ほめる言葉を受け入れられないのはなぜ?
私は、セッション、セミナー、スクールなどで、 初めてクライアントの方とお会いする時、 その方がどのような人柄で、どんな資質や才能をお持ちであるか、 直接、その方にお伝えすることがあります。
もちろん、いきなり唐突に、その話をするわけではなく、 その方のお話をお聴きしながら、 あるいはセミナーやスクールで話題になることに関連する形で、 それとなく、お伝えするのです。
私は、エンパスであり、インディゴソウルであり、HSPであり、 そして癒しのサポートをさせていただく仕事をしてきましたので、 その方のことがわかるのです。
その方の素晴らしい資質や、稀有な才能、輝く個性などを言葉にしてお伝えすると、
多くの方々が、それを即座に否定されます。
「そんなことを言われたのは初めてです。」と驚くか、
「そんなことはないでしょう…」と首をかしげる方も少なくありません。
私からみると、明らかなことばかりなのに、 ご本人に受け入れられないとは、実に残念なことです。
生きていれば、どんな人であっても、多かれ少なかれ、問題やお悩みを抱えているものですので、
自信を失っていたり、自己否定的な気持ちになっていたりすることはあるでしょうが、
そうであったとしても、自己評価があまりにも低いと思わずにはいられません。
これまで生きてきて、
他人からそんなことを言われたことは一度もなかったとか、
そんな才能があるなんて、一度も思ったことがないとおっしゃる背景には
何があるのでしょうか?
セルフジャッジメント こうあるべきという理想とのギャップ
自己価値が低く、自分のことを絶え間なくけなしたり、貶めたりしてしまう人がおられます。
自分の長所や良いところを、自分で認めることが出来ないのは、苦しいことです。
…とここまで書いてきて、ふと、昔のことを思い出しました。
クラスの友人や学校の先生にちょっとしたことをほめられた時、 「そんなことは全然ない!」と力を込めて全否定し、 恥じ入るばかりだった中学生の頃の自分の姿が浮かびます。
多少は謙遜もあったとは思うものの、 当時の私は、自分の優れている点については、全く受け入れられませんでした。
こうあるべきという理想に縛られ、優れている資質や長所よりも、 ダメな部分や劣っているところばかりに意識が向けられ、 その部分を恥かしく思い、情けない気持ちがあって、 自分で自分をジャッジして、落ち込んでいたのです。
親をはじめとして周囲の人々は、 良い点をほめてくれる優しい人々でしたので、 自分を認められず、受け入れられない原因は、 私の場合、主として自分の心の姿勢にあったということになるでしょう。
その後の人生において、さまざまな体験や気付き、癒しなどを経て、 時間はかかりましたが、自然に、楽に、自分をほめられるようになっていきました。
親にほめてもらったことがない…
私がこれまでにお会いしたクライアントの方の中には、 一度も親御さんにほめてもらったことがないという方が何人もおられます。
親御さんからほめられないどころか、 虐待といってもよい言動によって否定され、 存在を認めてもらえなかった方もたくさんおられます。
幼い子どもは、ほめてもらうことで、成長していくもので、
ほめられることは、酸素や水のように不可欠であり、当然あるべきものと言ってもよいのですが、
それが欠落している場合、大きな問題を引き起こすことになります。
自分の子どもをほめない親は、なぜほめないのでしょうか?
親も、その親や周囲の人々からほめられたことがないため
ほめ方を知らないため
ほめられると虚栄心が強くなったり付けあがったりして宜しくないと考えているため
子どもをほめる心のゆとりが持てない状態にあるため
子どもに対する愛情が欠落しているため
ほめられずに成長した人は、それが当たり前だと思ってしまいます。
そして、自分には良いところや素晴らしい資質があると気付くことが難しくなります。
さらには、ほめられなかったことで、人をほめるやり方がわからず、
そもそもほめることの大切さにも無頓着になるでしょう。
他人の美点に注目してほめ称えることは、ほめてもらうことと同じくらい、気持ちの良いことです。
お互いの存在を認められ、認め合って築く人間関係が無いとしたら、
利害や忖度や交換条件などに基づく表面的で打算的なつながりばかりになるでしょう。
ほめ方がわからなかったり、ほめることを有害であると考えていたりする場合には、 子どものほうには何の落ち度もなく、親のほうに癒すべき問題があるということになります。
「ほめることによってダメになるからほめるな」という考え方や姿勢、信念は、
残念なことに、世代を越えて一族に受け継がれていくことがよくあります。
心身の不調やご病気、障害などによって子どもをほめられないのは、たいへんお気の毒なことではありますが、
そのような環境は、いわゆる機能不全家庭と呼ばれます。
機能不全家庭には、ほかにも、兄弟姉妹としょっちゅう比較し、けなしたり、
産むつもりはなかったなどと子どもの存在を否定したり、一貫したルールが家庭内に無かったり、
何でも言いなりになる甘やかしなども含まれます。
とりわけ、子どもをコントロールしたり、罰を与えたり、脅したりする目的で、 ほめたりほめなかったりということが行われていた場合は、深刻です。
機能不全家庭で育った子どもには、アダルトチルドレンと呼ばれる傾向が現れやすくなり、
生き辛さとともに、自尊心の低下と依存傾向に苦しみます。
自分で自分を受け入れられず、認められないこと自体、たいそう辛く、苦しいことですが、
同時に他者の顔色をうかがい、他人の期待や意向に沿って頑張ることで、すっかり消耗してしまうのです。
心の中に闇を抱えて子どもをほめられない親は、その方ご自身も生き辛いことは、言うまでもありません。
今、すぐに心のケアを受けられることをお勧め致します。
いじめによって失われた自信と自己価値
ひどいいじめを体験され、それが長引くうちに、自信を奪われてしまった方もあります。
来る日も来る日も否定的な言葉を投げつけられ、無視され、否定されることが日常となり、
誰にも訴えられず、理解者もいなければ、自己否定が極限まで進みます。
現実に、数多くの子どもたちが自死を選んでしまったのは、本当に痛ましく悲しいことです。
いじめられるのは、自分に何か問題があるのかもしれない…と、次第に思い込むようになって、 いじめる側の言い分のほうが正しいような錯覚に陥るのは、危険な兆候です。
その後、いじめが解決して、心に平和が戻ってきたとしても、 それまでの自己価値やアイデンティティが回復するのには、時間がかかる場合があります。
いじめを受けた体験は、それが一時的なものであったとしても、心を傷付け、 この世界に対する信頼と、自分自身に対する信頼を、じわじわと破壊していくことがあるのです。
いじめられる側に問題があるわけではないのにも関わらず、
自己評価、自己価値、セルフイメージが著しく低下して、
その後の人生にも影響を及ぼし続けるのですから、本当に許し難い行いです。
自分をあるがままに認めるのは難しいけれど…
もしも幼少期に親に否定され、その後、周囲の人々からも否定され続けたら、 自分の良いところ、優れた資質に気付くことは出来ませんし、 たとえ誰かにほめられても、そんなはずはない、お世辞を言っているか、 何か下心があるのでは…と感じてしまうのも、無理はないことです。
しかしながら、そうであれば、なおさらお勧めしたいことがあります。
それは、自分が自分であることを認めること、そして自分で自分をほめることです。
あるがままの自分を認めるのですから、無条件ということになります。
こんな仕事しか出来ない自分、失恋ばかりしている自分、見た目も頭の中身もぱっとしない自分…
…と思っても、そんな自分でOK、それで良いのです。そんな自分をあるがままに認めてあげましょう。
なぜならば、誰がなんと言おうとも、この世界には、存在価値のないものは、存在していないからです。
全てのここに生きるものたちは、在るべくして在る、宇宙から受け入れられ認められ、歓迎されているのです。
これは、選択の問題です。
一人の人の存在価値を、一体誰がジャッジしたり、査定したりできるでしょうか?
自分を値踏みするような思考にはまるのは止めましょう。
産まれてきて、生きている、それだけで、あなたには存在価値があります。
ですから、そんな自分のことを認めて、ほめてあげましょう。
ばかばかしいなどと思わないで、少しずつでも、やっていただきたいのです。
プラスのストロークを自分に与える
ほめる言葉は、交流分析で言われるプラスのストロークになります。
人は、プラスのストロークがなければ、生きていかれません。
もしも、人が、どこからもプラスのストロークを受け取れない場合は、 今度はマイナスのストロークを求めて行動するようになります。
ほめてもらえないのであれば、むしろ叱ったり非難したりされたい、
黙殺や無視よりも、そのほうがましだと私たちは思うのです。
勉強が嫌いで、学校の成績が振るわず、スポーツもダメ、 クラスメートからの信頼もない子どもは、 授業中に騒いだり、いたずらを仕掛けたりすることで、 先生にたしなめられ、お叱りを受けて、マイナスのストロークをもらいます。
大人である私たちにとっては、 受け取るストロークと与えるストロークのバランスが大事で、 受け取る分量に比べて与えてばかりでは、精神的に満たされず、 生きる意欲も働くモチベーションも下がってしまうでしょう。
ふだんの生活や人間関係の中で、プラスのストロークをもらえないならば、 自分で自分に与えてあげることが出来ます。
また、周囲の人々から、より多くのプラスのストロークをもらえるようにする方法もあります。
シンプルな方法としては、まず自分から進んで相手にプラスのストロークをあげることです。
すると、お返しのストロークをもらえるでしょう。
また、その方のパーソナリティによって得手不得手があるかと思いますが、
もっとたくさんのプラスのストロークをくれるように、相手に要求しても良いのです。
そして、ここが重要なのですが、
誰かにほめてもらう機会があったら、にっこりと笑って、「有難う」と言いましょう。
隠された裏の意味があるのでは…とか、お世辞や皮肉かも…などと深読みしないで、 素直に受け入れてみて下さい。
相手を認めたり、相手から認められたり、お互いをほめたりほめられたりすることは、 生きものが酸素を取り込み水を飲むように、普通にあってよいことです。
最初のうちは、そう思うことは難しいかもしれませんが、家族でも他人であっても、
お互いに認め合う人間関係を選択すると、決意して下さい
毎日、自分を認めて、ほめてみたら…
自分にしかわからない自分の長所や、 今日一日、素晴らしかったこと、頑張ったことなどについて、 毎日、自分をほめてみてはいかがでしょうか?
習慣として、続けていかれたら良いですね。
ここで、忘れてはならないのが、 「結果を出したか否か…」という観点を離れることです。
社会人として、大人としての私たちは、多くの場合、 結果が全てという見方を受け入れ、それに慣れてしまっています。
頑張って結果を出せれば、それなりに評価されますが、 どれほど頑張ってみても、結果を出せないのであれば、 頑張ったことは黙殺されるか、否定されてしまうのです。
そこで、結果にこだわるのを止めます。
そして、自分のとった 行動ではなく、在り方に着目して みましょう。
行動面をほめる例は、次のようなものです。
仕事の目標を達成できた!
上司にほめられた!
リーダーに抜擢された!
試験に合格して資格を取得した!
それに対して、在り方をほめる例は、次のようなものです。
朝起きて、鏡に映った笑顔が良かった!
お昼ごはんが美味しかった!
満開の桜の花を眺めて感動した!
一日、穏やかな気持ちで過ごせた!
行動と在り方、どちらであっても、ほめるポイントを見つけて、どんなことでもほめてあげたら良いのですが、
特に後者の在り方のほうは、必ずほめるようにすることをお勧めしております。
人が自分を認めて肯定するポイントは、必ずしも成果や突出した才能でなくてもよいのです。
物事が上手く進み、良い結果が出るためには、周囲の協力や運・不運などが関わっていることもあるでしょう。
ところが、在り方をほめる場合は、外部からの影響やタイミングなどに左右されることがありません。
在り方のうち、「お昼ごはんが美味しかった」のは、その時、美味しいと感じることが出来る自分であったからです。
空が青く晴れ渡り、満開の桜の美しさに見とれたのは、 それを感じ取ることが出来た心のゆとりや、美に対する感受性が自分にあったからなのです。
ブッダ(お釈迦さま)は、「生老病死」ということをおっしゃいましたが、 人間が生きていくこの人生には、例外なく、 生きる苦しみ、老いる苦しみ、病いの苦しみ、死ぬ苦しみという 4つの苦しみが付きものです。
生きることは、たいへんなことですので、今日も無事に生き抜いた自分を、 ほめたたえてあげても良いのではないでしょうか?
ご病気の方やご高齢の方、私と同じHSPの方やエンパスの方、
また障害のある方、お悩みや問題を抱えている方ならば、
なおさら、今日一日を生きられたこと、今、生きていることは、ひとつの偉業とすら言えるかもしれません。
そして、これはきわめて大切なことなのですが、もしもあなたの周りにいる人々の中に、 あなたをほめてくれる人が一人もいないのであれば、 それは、あなたに長所や価値が無いからではないことを、しっかりと認識しましょう。
認めたりほめたり出来ない周囲の人々のほうに、何らかの問題があるのです。
外側からの反応によって、自分の価値を評価する必要はない のです。
誰もほめてくれなくても、自分で自分を大いにほめていただければと思います。
自分を認めてあげると、人間関係がポジティブに変容していく
自分をほめて、自己肯定的な気持ちを持ち、セルフイメージが良くなっていくと、 周囲から受ける反応がポジティブに変化していくことは、 一部の特別な人だけに起こることではありません。
あなたが自分をどう思っているかが、全ての出発点となるのです。
もしも否定的なセルフイメージを捨てきれず、 自己否定的な思いにとらわれて、もがいても抜け出せないのであれば、 私どもがセッションでサポートをさせていただきます。
日々の心がけや思いの持ち方だけでは対処できない、根深い否定性に対して、 その方の状態に適したセラピーやヒーリングを用いてはたらきかけ、 解消を促すことが出来ることを、知っていただければと思います。
「あなたの素晴らしいところは、○○○○○○○ですね。」
「あなたは◇◇◇◇◇◇の優れた才能をお持ちのようてす。」
こうお伝えした時に、言葉では謙遜しながらも、心の中で穏やかに微笑みながら、
「そのことなら、よく知っています、そのとおりです。」と思っていただける日が
近い将来、訪れることを心から願いながら、今日もセッションをさせていただいております。
*ご参考までに、ブログのほうにも、同じテーマの記事がございますので、よろしかったらご覧下さい。
> 自分のことが嫌い
自己否定、低い自己価値、自己信頼の低下を癒すために
自分に対する否定的な思いや自信の欠如があり、努力してみても上手くいかない場合に、
自尊心を回復し、自己価値を高め、自分を肯定する気持ちを促すためのセッションをお勧めしております。
その方によって、何が起源となって自己否定につながっているのかは、さまざまです。
セッションでは、最初にじっくりとお話をお聴きして、その方のご希望に合わせたセラピー・ヒーリングをご提案致します。
自己価値を高めるホリスティックな癒しのセッションで用いるセラピー・ヒーリングのうち、代表的なものを幾つかご紹介致します。
自己否定を解放し、自己価値とセルフイメージを高めるために… | |
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カウンセリング | まずは、今のお気持ちや、こうなりたいというご希望について、じっくりとお聴きします。お話をお聴きしながら、その方がご自分で気付きを受け取り、セルフイメージの問題を乗りこえるお手伝いを致します。 ご希望があれば、必要に応じて、その方に適したセラピー・ヒーリングを提案させていただきます。 |
ナラティヴセラピー | 自己価値が低く、自尊心が持てないのは、その方が人生の中で受け入れた価値観や信念、 文化、宗教、親御さんからの影響などによるのかもしれません。対話によって、それらに気付き、 その方に役立つ新たな価値観や信念の可能性を探り、自己肯定感を取り戻すためのサポートを致します。 |
ヒプノセラピー・ 多次元セラピー (退行療法) |
自己否定の原因がどこにあるのか、問題の起源に戻り、なぜそうなったのかを探求して癒します。 インナーチャイルドやインナーペアレントの癒し、自己否定をさせているサブパーソナリティの統合、 あるいはその方に属していない何らかの原因エネルギーの解放などを促すことが出来ます。 |
アートセラピー・ マインドリリース |
言葉やイメージなどを使わずに癒すセラピーです。言語では表現できない自己否定的な思いを、 色彩とフォルムを使って表現し、解放を促してまいります。 |
ポジティブな変容 ヒーリング |
過去を思い出したり、過去の時点へ退行して原因を探求するのが辛すぎる時には、楽に受けていただけるヒーリングをお勧めしております。 今生と過去の全ての転生から持ち越され、現在に影響を与えてい自己否定と自己価値、自尊心の低下にまつわるエネルギーを量子レベルで取り除き、健全な自己愛を高め、その方のハイアーセルフから新たなプログラムをダウンロード致します。 |
上記以外に用いるアプローチとして…
セッションでは、E.F.T、アファメーション、フラワーエッセンス、セルフヒーリングワークなど、
セッションと並行して、ご自宅でお一人でも行うことができる方法をご紹介しています。
また、ご自分をよりよく理解するのに役立つ 「自分らしさ発見・自己覚知セミナー」、
潜在意識に肯定的なインプットをする「潜在意識の活用・自己催眠セミナー」などを
ご希望に応じてお伝えしております。
必要な場合には、医療、専門機関などをご紹介します。
経験豊かなセラピストが、その方のご希望に沿った方法で、
セルフイメージ、自己価値、自尊心、自己愛を回復するための癒しをサポートしますので、
まずは、お気軽にご相談いただければと思います。
> 自分らしさ発見・自己覚知セミナー
> 潜在意識の活用・自己催眠セミナー
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