自分を嫌いなあなたへ

セッションルームにお越しになる方の多くが、

人間関係の悩みを抱えておられます。

特定の相手との関係が大きなストレスとなっているため、

旅行やカラオケなどで解消したり、有給を取ってのんびり過ごしたり…と

上手に気分転換できていたら良いのですが、

残念ながらそうはいかず、

イライラや落ち込み、嫌悪や憎しみに押しつぶされそうになって、

職場やお住まいの環境を変えることを検討するところまで

追い詰められてしまう場合があります。

家族や上司、ご近所の誰かでしたら、

その相手から心理的、物理的な距離をおくことで、

少しずつストレスが軽減されていくことがあるかもしれません。

ところが、これが、ご自分との関係であったら、どうでしょうか?

当たり前のことですが、ものごころついて以来、常に一緒にいて、

距離を置いたり、切り離したりすることもできませんし、

無視して無かったことにも出来ません。

大嫌いな自分と、24時間365日、一生ずっといっしょにいる…。

それは、どれほど辛く、苦しいことになるでしょうか?

自分との関係が良好だと、自分というものを特に意識することなく、

毎日の時間が流れていきます。

それに対して、自分を嫌いである場合には、何かにつけて、

「こんな自分だからやっぱり上手くいかない」とか、

「どうせこんなものでしょう、私の人生なんて…」と

否定的な感情がいつでもつきまとい、

嫌悪や批判、セルフジャッジが繰り返されてしまうでしょう。

単に自分が気に入らないだけではなくて、

人生や世の中の対する見方までもが、

その暗い色に染め上げられていきます。

腹立たしさを外側に投影して、攻撃的になっていく人、

自分の将来を悲観して縮こまり、無気力になっていく人、

自嘲し、自虐的な人、

誰かを羨ましがり、嫉妬や妬みを隠しながら生きている人、

その方によって、さまざまな防衛が無意識のうちに行われ、

そうなっていること自体が、既に意識にのぼらなくなっていることも

よくあることなのです。

生まれた時から人と人とのつながりの中で暮らす私たちは、

常に他者との比較をしています。

身近なところで生きている相手ばかりではなく、

遠い過去の時代に生きた人までもが、比較の場に持ち込まれます。

また権威ある人や大切に思う相手の言動によって、

評価され、値踏みされて、傷付き、卑下するようになってしまうこともあります。

自分を「あるがままに受け入れる」という言葉がありますが、

実際には、それほど簡単に行えることではないのです。

どうしたら、現時点の素の自分を、気負いなく、セルフジャッジなく、

自然に受け入れ、自分が自分であることを心地よく感じられるでしょうか?

ダメな部分や失敗した過去、汚点ばかりを拾い上げて、

自分に重ね、それがイコール自分であるとみなしてしまう姿勢の背景には、

親御さんとの関係が影を落としていることがあります。

親御さんから、比較されたり、けなされたり、

軽視されたりする体験があった場合には、

そのことを、まず知り、受け入れることが良いかと思います。

子どもは、お父さん、お母さんのことが大好きです。

ですから、愛する両親が、比較やジャッジや否定によって、

ある時、あるいは絶えまなく、自分を傷付けたという事実を受け入れるのは、

途方もなく辛いことですし、勇気が必要なことです。

そんなことをするくらいならば、

両親が思うとおりのダメな自分や可愛くない自分、

能力が劣っている自分でいるほうが、むしろ良いとすら思うかもしれません。

でも、考えてみましょう。

そんなことがあったのは、既に過去のこと、

親は年を重ね、自分も成長したのです。

大人になった今は、一人の人間としての親を、

客観的に眺めることができるはずです。

愛や親密さで結ばれた親ということではなく、

別の視点から眺めるということです。

自分の子どもに向かって、否定的な言葉をかける一人の大人がいた…と見た時に、

その背景や心の深層に、何があってそうした言動に至ったのかと

考えてみることが出来るでしょう。

たとえば、親御さんもまた、その親から、

同じように軽視されたり否定されたりしたのかもしれません。

自分を好きになれない自己否定的な気持ちや怒りが、

子どもに向けられていたのかもしれません。

あるいはそうではなくて、行き場のない何かのフラストレーションを

子どもにぶつけてきたのかもしれません。

実は、セッションルームにお越しになった何人かのクライアントの方の場合は、

こうしたことを冷静に分析し、

仕方がなかったとあきらめていることが少なくありません。

その冷静さと勇気には感服します。

分析は、もちろんあって良いのですが、それだけでは終われません。

現実に起こってしまったことは、仕方がないことかもしれません。

しかしながら、子どもをけなしたり否定したりするのは虐待であり、

どんな理由があろうとも、本当はあってはならないことなのです。

不当な扱い、ひどい体験であったこと、簡単に許せるものではないこと、

愛する親であっても、その親から受けた否定や軽視が、

イコール自分の本質ではないことを、ここでしっかりと確認する必要があります。

幼少期のことは、ほとんど記憶にない、

自分のことを好きになれないのは、親とは関わりが無く、

自分が一人で勝手にやっていることだと思う方があるのですが、

自他へのジャッジや否定というものは、学習されるものですので、

人生のどこかの時点で、誰かにされた経験があって、

その後、自分で自分にしているのではないかということを、

一度、考えてみると良いでしょう。

自分が自分であって、心地よく調和した状態でいることは、

場合によっては、難しい課題ではありますが、

手の届かない理想ではありません。

現在、あなたが、「自分のことが大嫌い」

「自分などいない方がよい」と思うのであれば、

そのようなセルフイメージやセルフジャッジメントをあらためて見つめ直し、

変容させることが出来ます。

けれども、「嫌いな自分」「いないほうがよい自分」に慣れてしまって、

それで十分だと思ってしまったら、

本来あったはずの可能性が消えていってしまいます。

あなたの中に存在していて、あなた自身から気付かれず、認めてもらえていない

素晴らしい資質や持ち味、個性が、埋もれたままになるということです。

なんと残念なことでしょうか。

それは、ご本人にとって残念であるにとどまらず、

周囲の人々や環境、社会、

おおげさにいえばこの世界にとっての大きな損失です。

このまま「価値の無い自分」と、「つまらない人生」が

続いていくだけだとあきらめてしまわずに、

もっと違う見方、在り方がある、

人生はもっと快適なものになり得ると考えてみることから始めて、

新しいご自分を発見するための一つの足がかりにしていただければと思います。

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