お部屋の浄化 モノと時間の関係について

体調が良いと、心が朗らかになります。

また心が明るいと、体のコンディションも良くなり、

将来に対する見方も明るくなります。

健やかさ、元気さ、はつらつとしたコンディションを実現するために、

今すぐに行えるのは、どんなことでしょうか?

その方法は、病気にならない健康法ということも出来ますし、

健康増進法、あるいは介護予防と呼ぶこともできます。

健康な人には、ご家族や他の方から受け継いだり

経験から培ったりしたその方なりの方法があるでしょうし、

より集合意識的に、無意識のうちに行っていることもあるでしょう。

無意識で実現出来ていたら、それはそれで良いことに違いはありません。

けれども、意識化出来るしたら、

制限された状況で実行が困難である時などに、

それに代わる対処法を新たに工夫して

生み出せるようになるのではないでしょうか?

今回は、身の回りの空間や環境を浄化するということで、

お部屋の中にあるモノについて考えてみます。

職場や自宅のお部屋の環境をより良くするには、

目に見える側面と、目には見えないエネルギーや気といった側面の

両方向から考えていくことが出来ます。

お部屋の物理的な環境とモノについては、

言い古されていることが多いのですが、

その基本は、きれいに片付いていて、お掃除されていることですね。

断捨離ブームで、さまざまな整理術の情報が溢れていても、

実際には、私たちの無意識が、密かに回避してしまうことがあります。

人は、都合の悪い事実を、

無意識のうちにスルーしてしまうことがよくあるのです。

無用な緊張に陥ったり、脅かされたり、不本意なことになったりしないように、

あらかじめ一部の情報を遮断して守る、すなわち自己防衛ということで、

ごく自然にそうなっているのですね。

不要なモノがあったら、それは捨てたほうが良い…

その捨て方のノウハウは、メディアに情報がたくさんあり、

段階を追ってするやり方、一気にするやり方など多様であり、

自分に合う方法を選択できます。

そういう捨てる姿勢がある一方で、

不要なモノや、空間を占めて多すぎるモノを

処分するのは必ずしもよくないという立場があります。

懐かしいモノや記念品、思い出のモノたち、

さらには天塩をかけて集めたコレクションなどは、

たとえ同居人が嫌がろうとも、大切にしておいたほうが良いとする意見です。

それが、その人のアイデンティティの一部であったり、

人生の支えとなっていたり、心の安定に役立っていたりするから

…というのが、取っておく主な理由となります。

この二つの姿勢について、あなたはどのように感じられるでしょうか?

どちらも一理あるというのが私の意見です。

そして、捨てるか、とっておくかという問題ではないところに、

より重要なポイントがあると考えています。

それは、モノと人生との時間的な関係性です。

人は、日々、さまざまな体験をして年齢を重ねていきます。

住む場所や出かける場所、出会う人、関わりを持つ人は、

どんどん移り変わり、持ち物も変化していきます。

小学生の時と、中学や高校に進学した時との環境の変化を

思い起こしてみると、すぐにわかることでしょう。

自分という意識は定まっていて連続性があり、

そのベースの上に、大小の変化が歴史的に連なり蓄積されていきます。

あるモノが過去に属していても、ずっとそこにあり、今もそこにあるうちに、

意識から外れて、しだいに風景のようになっていきます。

たとえば、就職や結婚、出産、子育てなど多忙な移り変わりを経て、

ある程度、安定して平穏に暮らしている人の場合、

身の回りにあるモノたちが、見慣れた遠景となり、

意識はされなくなっていくかもしれません。

自分にとって、一つひとつのモノが、現時点でどれほど大切なのか、

それぞれの意味や存在価値を問う機会があれば良いのですが、

そうでないと、変化は起こりにくくなるでしょう。

たとえ一つのモノを手に取って、それについて心に問いかけてみたとしても、

おそらく意識はそのモノにまつわる過去へとたちまちワープし、

過去の愛着や興味などが思い出されて、

その勢いで、そこに置いておこうという気持ちになるでしょう。

過去は過去として、「今、ここ」に意識の焦点を絞り、

現在の状況から純粋に吟味し判断するのは、本当に難しいことです。

自分の変化に、環境・モノの変化が

追いついていない状態となる…そう言えるかもしれません。

大人になってしまうと、

変化を実感することが少なくなっていくかもしれませんが、

実際には、むしろ子どもの頃に劣らず、

内面的に大きな変容を遂げていくことが少なくありません。

生活の変化という目に見える部分だけでなく、

人としての成熟、成長という内面的な部分があります。

高齢化とか老化という言葉でくくられるだけではない変化、

たとえば心と精神の円熟、霊的な進化といってもよいものです。

現状に合ったモノとの付き合い方を望む時、

人が、生命のある限り、日々、変化を続け、

変容を遂げていく存在であることを

私たちは思い出す必要があるようです。

自分にとって、今、機能していないモノ、

無くなっても問題は起こらないモノ、

置いておく必要がなくなったモノには、

現在にとって、既に存在価値がありません。

役割を果たしてくれて、その役割を終えたのです。

よくあるのは、大切な相手から贈られたプレゼントの品です。

義理や忖度、過去のしがらみによって繋ぎ止められたモノとのつながりは、

切ってもよいし、現在の好みや美意識に反するモノも、

既に要らなくなったモノと考えることが出来ます。

喜ばしい想い出やポジティブな関係の記憶だけがあったとしても、

よく考えてみると、過去のある時点において

大切な意味を持っていたことだと分かりますし、

また、本当に大切なのはその贈りものではなく、

相手であったということがあるかもしれません。

遠くなった過去や不要な過去を、現在にとどめているだけのモノ、

そんなモノが、周囲にありませんか?

悔いの残らない人生を過ごすには、

年を重ねるほど、自分を中心に据えて選択することが

大切になっていきます。

もしも要らない過去を少しずつ、着実に手放すことが出来たとしたら、

人生の最期の日に、膨大に分量の雑多なモノたちを残したまま旅立ち、

遺された人々に、過大な負担をかけることもなくなります。

吟味されて選ばれた、限られた数のモノだけが、

必然性をもって、遺されるでしょう。

大切に眺められたり、持ち運ばれたり、分けられたりして、

世代を超えて、受け継がれていくかもしれません。

これは大切なことですが、モノには、そのモノが通ってきた

あらゆる場所や人の気が付着しています。

それが望ましくない理由は、2つあります。

1. 付着しているのは、全てが過去のエネルギーであり、

その人が現在を十分に生き、未来へ向かって進むエネルギーを

阻害することがあるため。

2. その人に属していないエネルギーは、基本的に、

その人の部屋にはなくてもよい(むしろないほうがよい)

エネルギーであるため。

2については、有名スポーツ選手のユニフォームや、崇敬する誰かのサイン色紙、

御利益のある神社のお守りなど、特別な意味のあるモノは除いて考えて下さい。

さて、このようにして、

現在にマッチしていないモノが無くなった空間にいると、

「今、ここ」にいる感覚と、未来へと向かいつつある新鮮さを

感じられるのではないかと思います。

モノが無くなったあとの空間から、

どのようなエネルギー・気が生じているか、

おそらくそれまでとは驚くほど違う感覚があると思います。

処分することに抵抗感や葛藤がある場合には、

いったん、お部屋から外に出して、物置などにしまってみましょう。

しばらくその状態で過ごしてみて、どんな感触があるのかを

確かめてみるのがお勧めです。