大多数から外れているストレスと自己否定

心理学、セラピーやヒーリングなどを学ぶために、

自己研修としてセミナーやスクールに行く機会があります。

規模も目的も、教え方もさまざまで、

場所(自宅からの距離)や時間帯なども違っているため、

快適さを感じることもあるし、疲労感でいっぱいとなることもあります。

エンパスでHSPの私にとっては、講師や受講生の方々との相性、

場の空気ということも、軽視できない要素です。

楽しい体験、ストレスに耐えながらの辛抱…。

そんな経験から思うのは、当然のことながら、

一人ひとり、何がOKで、何がアウトかということ、

それが実に多様であるということです。

AさんとBさんが、同じセミナーを受講している時、

Aさんは難なく習得できて、Bさんは努力するも、

結局どうにもならない…ということがあったとしましょう。

達成動機、すなわちやる気や頑張り、関心の度合い、

知的能力、パーソナリティ特性などだけでは、

結果の違いを説明することが出来ないことがあるのです。

世の中には要領のいい人がいて、どのような状況であっても、

苦もなく適応することが出来て、楽々と成果を上げることが出来ます。

しかしながら、教えられる内容とは違う部分で、

違和感やストレスや疲労感が生じてしまうことがたしかにあるのです。

その人の許容範囲を超えた要素がある時、

人によっては、強烈な違和感や拒絶感を覚えることになるでしょう。

柔軟に対応できる人にとっては、想像するのが難しいかもしれません。

また、言葉では説明できない要素である場合もあるに違いありません。

たとえば、不登校や職場放棄というテーマを考えてみると、

そうならない人には見えていないもの、目立たないものが、

圧倒的な存在感を持ってそこに在る…

という感覚と言ってもよいかもしれません。

温厚で受容的、経験豊かな教師、理解と人望がある上司、

一般的に言われる雰囲気の良い環境であるということは、

そうした違和感、拒絶感を帳消しにすることが出来ません。

それでも、その学校には行かなければならない、あるいは

生活のためには働かなくてはならないとしたら、

その苦しみは、途方もないものとなるでしょう。

ストレスフルな状況下でのミスや失態を叱責されて恥を感じたり、

自分の能力に対する自信を失ったり、

意欲をそがれ、劣等感を持つようになるでしょう。

その人が感じた自信喪失や劣等感などが、

一つの仕事をこなすことだけではなく、さらに深いレベルにも浸透し、

長期に渡って影響を及ぼすとしたら、どうなるでしょうか?

人として生きていくための基本となる自信や

アイデンティティの危機にまで発展して苦しむということが

無いとは言えないのです。

一般的なスタイルが適合しない少数派の人々には、

ひとくくりには出来ない、さまざまなバックグラウンドがあります。

このようなお悩みを持つ方と、セッションルームでお会いすると、

周囲の人々や組織、世間から、

パーソナリティの難点や精神力の弱さという否定的な見方で評価され、

そのことによって二重に傷付き、絶望し、

将来を悲観していることがよくあるのです。

近年、発達障害、学習障害、HSP、性的マイノリティに対する意識が高まり、

個人を尊重するための配慮や選択の自由度が向上しつつありますが、

それでも、大多数ではないことによって、無用なトラウマを抱えたり

否定的なセルフイメージを持つということは、

さまざまな領域で依然として起こっています。

人は、一人ひとりがユニークな存在であるという視点、

社会や時代、文化、教育などによって価値観は変わり、

在り方や見方が異なることがあるという視点を持てるように

はたらきかけていかれたらと考えています。

組織や学校の中で、大多数と違っていることは、

本来、否定的にのみ、とらえられてよいことではありません。

もしも目の前にある環境や状況が、

あなたにとって合わないものであるならば、

まずは、そのことに気付けたらよいと思います。

そして、ここが難しいところなのですが、

それが差異であり個性であるとニュートラルにとらえられたならば、

自分は出来ない、外れている、落ちこぼれている…

という自覚や否定的なセルフイメージに落ち込むことはなくなります。

ニュートラルな気付きから、ご自分を尊重する気持ち=自尊心を持って、

ご自分なりの在り方を受け入れて認め、

その状況とどうしたら折り合いをつけられるか、

調和させられるのか、無理なのかについて

結論を急がずにゆっくりと考えてみるのも良いでしょう。

もしもサポートが必要な時には、

カウンセリング、セラピーなどのセッションを通じて、

そのプロセスのお手伝いができたらと願っています。

不登校となり、中学校のほとんどと高校の途中まで学校に行かず、

自宅や図書館などで、毎日、興味のあることを勉強して、

自分の進みたい道を見誤ることなく、その分野で社会人として

居場所を見つけた方がおられます。

周囲に気配りを怠らず、協調し、足並みをそろえ、

遅れないように頑張り、浮かないように配慮して神経を使うエネルギーを、

むしろ自己教育に費やしたということが出来るかもしれません。

あなたがどんな人であっても、あなたにとっての真実があるのですし、

他者が、あなたの人生を、代わりに生きていくことは出来ません。

あなたの在り方が、多くの人々や周囲の人たちから理解されなくても、

そのことで自分を否定する必要はないことを、

決して忘れることなく、生きていきましょう。

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