終末期のスピリチュアルペインを癒すスピリチュアルケア
ユニークアイホリスティックヒーリングでは、
人生のスピリチュアルペインを癒すスピリチュアルケアと、
死にまつわるスピリチュアルペインを癒すスピリチュアルケアの2つをしておりますが、
元々、スピリチュアルケアは、終末期の方を対象とするケアとして始まったものです。
緩和ケアの現場やホスピスなどで行われており、
主として宗教関係の方々によって担われてきた経緯があります。
ここでは、死とスピリチュアルペイン、スピリチュアルケア、
人生のスピリチュアルケアの背景などについて、お伝え致します。
このページの内容
死に対する怖れ 死のタブー 死と向かい合うには スピリチュアルケアの現状と課題
宗教に拠らないスピリチュアルケア ホスピスの歴史からいただいたヒント
死のタブー 死に対する怖れや不安を越えて
「死ぬのは怖い」 「死のことなど、まだ考えたくない…」
というのが、多くの方々の率直な思いではないでしょうか?
死には、不安、恐怖、否定的な観念・信念、忌避、不浄、
得体のしれない不可解さ、不条理さなどがまつわりついており、
そうした感情反応は、他とは別次元の大きさであると
言ってもよいでしょう。
人類の歴史を顧みても、私たちが生きているこの時代においては、
死は、日常生活から切り離され、世の中からは隠され、
忌まわしく恐ろしい否定性を帯びたものであり、
死を考え、死について語ることは、タブーとされてきました。
そのため私たちの心の中では、ごく自然に死は抑圧され、
隠され、忌避されることになります。
しかしながら、医療技術が進歩し、人の平均寿命が
目覚ましく延びつつある現代であればこそ
死を未来のどこかの時点に想定しながら生きる時間は長期化しています。
そうであれば、死を人生の彼方へと追いやり、
心理的に遠いものとして意識から退けるのではなく、
丹念にじっくりと、より良い死について考え、
あらゆる側面からきめ細やかな準備をすることが求められ、
可能となっていると言うことが出来るでしょう。
より良い人生とより良い死は、
かけがえのないその方の人生の総体として、
本来、不可分一体のものです。
良く死ぬこととは、
より良い死に向かいつつある
現在の日々と人生を、
より豊かで充実したものとすることにほかならないと
私たちは考えております。
死と向かい合うためにはどうしたらよいでしょうか?
よりよい死を迎えるために、
私たちは何をしたらよいでしょうか?
現時点で、何か準備として出来ることがあるでしょうか?
このような問いかけにお答えするのが、不安や怖れ、懐疑などを癒し、
根源的な問いかけに答えを見出すお手伝いとしてのスピリチュアルケアと
よりよい死を迎えるためのエンディングサポートです。
死がいつ訪れるのかは、誰にも分からないことです。
しかしながら、死はいつの日か、必ずやってきます。
よりよい死を迎えるために、次のようなことについて、今から考えておくのはいかがでしょうか?
・悔いのない人生であるために、心残りや後悔、未完了のことを完了させること
・いつか実現したいと考えていることを先延ばしにせず、着手すること
・死について考えを深め、ご自分なりの死生観を持つこと
・死を意識の外へ追いやらず、受け入れられること
・死後の生、死後の世界を視野に入れること … など
ご存じのように欧米などでは、小・中学校の頃から、学校において、死への準備教育が始まります。
悔いのない人生を送ることに役立つ準備としては、早過ぎることはないのかもしれません。
スピリチュアルケアの現状と課題
トータルペインのうちの一つであるスピリチュアルペイン。
スピリチュアルペインがある時、それを癒すことは、その方らしい納得のいく最期には欠くことの出来ない大切なケアとなります。
現在、そのケアは、どのように行われているでしょうか?
統計資料によると、現状では、終末期にある方の多くが、病院、ホスピス、在宅などで、最期の時を過ごされます。
病院やホスピスで行われる緩和ケアは、日本国内では、主としてガンを患った方が対象となっています。
身体的ペインについては、ドクターを中心とする医療スタッフの方々によってケアが行われ、 残りの3つである社会的なペイン、精神的なペイン、スピリチュアルペインについても、 医療の現場でのケアが謳われてはいるものの、実際には十分に行き届いているとは言えない状況のようです。
ドクターやナースの職務は、知識と経験のある方々でなくては行うことが出来ない、極めて専門性の高い業務ですので、スピリチュアルペインのケアに注力しようにも、物理的な時間や人手などの不足によって、思うように回っていかないのは理解できることです。
では、在宅で過ごされる場合はどうでしょうか?
ここには、在宅ケアのドクターとナース、介護職の方々がおられますが、 病院やホスピス同様、元々の職務である健康と命を見守ること、生活を支えることは、 多くの時間とエネルギーを必要としますので、たとえ問題意識はお持ちであっても、 残念ながら患者さんの心と魂のケアには、手が回らない状況があるようです。
スピリチュアルケアは、終末期ということに関連して注目を集めました。
しかしながら、本来は、あらゆる人間が持つ可能性がある痛みです。
たとえば、まだお若くて、健康面で何も問題のない方であっても、 スピリチュアルペインを持つことが、人生には起こり得るのです。
そんな時、誰が、どのようにして、その方のスピリチュアルペインを癒すのでしょうか?
まずは、身近な方、家族、友人、知人、恩師などに相談を持ちかけるということがあるでしょう。 また、信仰を持つ場合は、宗教的な教義や、宗教的なコミュニティによって、癒されていくこともあるでしょう。 身の上相談や、カウンセリング、いのちの電話などに相談することも少なくないと思います。
実は、カウンセリングや心理療法をさせていただく立場の者にとっては、 スヒリチュアルペインへのケアは、日常的に行っている仕事の一部と言ってもよいのです。
少なくとも、私どもの過去のケースを振り返ってみますと、スピリチュアルペインというカテゴリーに分類されるような問題やお悩み、テーマが数多く存在しています。
スピリチュアルペインを癒すスピリチュアルケアは、死がまだ視野に入ってこない方々にも起こり得ること、その場合のケアと癒しの場にはカウンセラー、セラピスト、ヒーラーなどが立ち合っていることになるのです。
では、死が視野に入ってきた方、死が身近に迫っている方の場合はどうでしょうか?
たとえば、ご病気に罹って余命宣告を受け、終末期を迎える際には、
患者さんは、カウンセラーやセラピストがいるような街中ではなく、
病院やホスピスなど、日常とは切り離された環境で過ごされるのです。
そして、その現場の医療や福祉の方々や、病院付きの宗教者の方が
スピリチュアルケアを担うという状況になります。
余命宣告を受け、ご家族に支えられながら、ご自宅で療養されている方のうち、 心身の状態が比較的良好であり、起き上がり移動できる方々が、 セラピストやヒーラーのセッションを受けられることになります。
私どもは、こうした数の上では決して多くはない方々と、セッションルームでお会いする機会をいただき、
その方の現在のお気持ち、心残りや気がかりなことなどについてゆっくりとお話をお聴きしてまいりました。
ご希望がある場合には、その方が望むセラピーやヒーリングをさせていただくことがあります。
傾聴のセッション、死への不安や怖れ、死後の行く末についての不可解さなどにワークするセッション、
先に旅立たれたご家族や親しいご友人と対話をするセッションなどが多くなっております。
またリラックスして安らぎを感じられるヒーリングも、ご要望の多いセッションです。
万人に起こり得るスピリチュアルペイン 人生のスピリチュアルケアの背景
私は、これまで、長年に渡って、カウンセリングや心理療法を続ける中で、 スピリチュアルペインとは、あらゆる世代の方にある痛みだと確信を持つに至りました。
もちろん終末期には、それがとりわけ重要な課題となっていくことは否定できませんが、 実のところ、終末期だけに出現する問題ではないのです。
しかしながら、現状を見るならば、
終末期になると、まず医療的なケア(緩和ケア)が重視され、必要な生活面・福祉面のサポートが行われ、
そして、多くの場合、今まで無宗教で過ごされてきた患者さんの元にも、
唐突に(といっては失礼かもしれませんが)、宗教関連の方(チャプレンやビハーラ僧の方)と出会い、
スピリチュアルケアを受けるようになることが少なくありません。
スピリチュアルケアに対する意識が高く、患者さんを大切にする病院であるほど、
こうした提携や部門が確立されているようです。
スピリチュアルペインと宗教
宗教は霊的な物事を専門的に扱う立場であるということで、それによって患者さんの心と魂が救われ、 安心感を得られるのであれば、何も言うことはありません。
けれども日頃からセッションルームにて、クライアントの方のスピリチュアルペインと向かい合い、 傾聴やセラピーをさせていただいていると、こうした状況には、どことなく違和感を覚えることがあります。
人間をホリスティックにとらえ、魂と霊性が全ての方に具わっているものだと考えるならば、 スピリチュアルペインは、万人に起こり得る可能性があるものです。
そして、宗教的アプローチ(だけ)によって霊的な痛みが軽減、解消されるとしたら、 全ての方が宗教に入信するようになれば、霊的な痛みは問題とならないことになります。
人類の歴史を振り返るならば、さまざまな宗教が、夥しい方々の心の拠り所となり、 魂を導き、霊性を高めてきたことは事実であり、それを否定するつもりは全くありません。
が、宗教によっては、心と魂の平安を得られないケースというものも、 少なからず存在するのではないかと、私は経験的に考えるようになっています。
それは、その方の価値観、世界観、信条などによります。
それは、身体や心理面、社会性と同様に、霊性もまたその方に元々具わっており、 その方にご自分を癒す自己治癒力があるのと同様に、 霊的な問いかけの答えを見つけ出し霊性を癒し救うリソースも、 その方固有の方法やエネルギーとして、既に存在していると考えております。
私どもは、その方のリソースをその方がご自分で見つけ出すお手伝いをさせていただき、 それが宗教と関わりがない場合には、宗教に拠らないアプローチをとることに致しました。 それを人生のスピリチュアルケア、死にまつわるスピリチュアルケアと位置付けて行っております。
その方がこれまでに過ごされてきた人生のものがたり、信条、信仰、価値観、世界観、 人間観、霊性観、死生観などを尊重し、ご自分のリソースで、魂や霊性を見つめ、 その方らしいユニークな方法で魂の救いと安らぎを見出し、 心と魂の調和と平和を実現されることを目指しています。
ホスピスの歴史からいただいたヒント
ホスピスの潮流について学びを進め、参考資料を読み解くうちに、 ホスピスとは、施設ではなく、運動であるという考え方、 そして市民レベルでホスピスを提供し、お互いに看取りをし合うという姿勢について知り、 共感を覚えます。
死は、全ての人に訪れるものであり、過去の時代には、コミュニティ全体で 終末期のケアと看取り、葬儀と埋葬を行っていました。
死だけでなく、誕生から始まる人間のライフイベントの全体に渡って、 身近な血縁、地縁によって、支え、支えられる互助があったと言われます。
そうした記録や報告を見ると、見送る側はもちろんのこと、 何よりも看取られるご本人にとって、どれほど安心できるものであっただろうと想像されます。
専門の細分化か進んだ結果として、最新の知識や高い技術が日常となった反面、 ご本人の個人としての思いや価値観、大切にしている信念、絆、パーソナリティ、 歩んできた人生の道のり、死生観などが、看取りの場から少しずつ遠のき、薄らいできている感もあります。
スピリチュアルペインを癒すスピリチュアルケアについては、その方の思い、 その方が、現在、何に苦しみ、何に救いを求めておられるかが最も大切なことだと思います。
人は、お一人おひとり、驚くばかりに異なっているパーソナリティであり、存在です。
特定の宗教的立場や教義、単一の方法論とは異なる、心理臨床の立場やトランスパーソナルな視点からも、 その方にとっての真実の光をご自分で見つけ出すことに役立つケアの在り方を、 模索し実践していくことが求められているのではないでしょうか?
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