普段の自分とハイアーセルフ
ハイアーセルフは、その方の自己の一部分、
より高い自己を意味する言葉です。
人間の内面は一面的なものではなく、通常の自己のほかに、
比較的低い意識の部分(ロウアーセルフ)、比較的高い意識の部分(ハイアーセルフ)などがあるとイメージしていただくと、わかりやすいのではないでしょうか?
私たちの日常を振り返ってみましょう。
たとえば理不尽な出来事が起きて落ち込んでしまったり、
何かに妨害されてイライラしたり、
誰かを妬んだり、恨んだり、復讐心を抱いたり、
身近な相手に怒りが爆発してきつい言葉を投げかけてしまったり、
無気力になったり、やる気を無くしたり…ということがあります。
ふだんは穏やかで、思慮深く、優しい人であっても、
このような状態になることはあるものです。
それに対して、
いつもよりすっきりと心が澄み渡り、幸せな気持ちを感じられたり、
希望を持って明るい未来を思い描いたり、
道ですれ違う見知らぬ人に対してさえ、あたたかい気持ちになれたり、
寛容、慈悲、洞察、無私の思いやりなどが自然に湧いてくる時もあります。
後者のような状態の時、
これを「より高い心の境地(心境)」と呼んでもよいかと思いますが、
自分の中の高次元の自己=ハイアーセルフとつながっている…
そう考えてみるのはいかがでしょうか?
そうなりますと、多かれ少なかれ、
日常生活の中で、ほとんど全ての方が、無意識・無自覚であったとしても、
ハイアーセルフとつながっている瞬間や、
ハイアーセルフと一体となっている状態を、
体験されたことがあるのではないかと思うのです。
こうした体験は、自然に起こることであり、
努力したり、頑張ったり、特別な訓練をしたりする必要はありません。
ハイアーセルフは、その方の一部分、元々、その方の中に在りますので、
当たり前といえば当たり前のことですね。
今日は、わけもなく幸せ、いつもより良い気分…と
シンプルに感じられるひとときです。
不快なことではないし、マイナスに作用することもないと思うのですが、
世の中には「ハイアーセルフを受け入れられない」という方もあります。
ハイアーセルフに無関心という方は別として、
ハイアーセルフに半信半疑である場合、そしてハイアーセルフを拒絶している場合です。
ハイアーセルフに半信半疑
ハイアーセルフは目に見えるものではありませんので、
五感によって感知せず、本当に在るのか否かの確認が出来ません。
これまでに「たしかに在る」と実感したことがない場合、
「在るとは言いきれない」と思うのは自然なことです。
基本的に、検証できないものや見たことのないものは信じない…という姿勢は、
ある意味でご自分の感覚や実体験に即した科学的、現実的な対応であるとも言えるでしょう。
しかしながら、ご自分の状態・心身のコンディションに、
低調な時と好調な時があることは、おそらく経験的に理解されていると思います。
とりわけ心の姿勢やあり方を考えてみると、
周囲の人々に寛容に接したり、前向きで意欲にあふれていたり、
幸せを感じていたりする状態の時は、
(そうでない時に比べると)望ましいものであり、
もしも選択できるのであれば、そんな状態を選びたいものだと
思われるのではないでしょうか?
寛容、意欲的、幸せ感などは、
なんとなくそうなった…、気が付いたらそうなっていた…ということも
もちろんあると思いますが、
意識的、意図的に、選ぶことも出来ます。
たとえ五感で感知できなくても、
ご自分のハイアーセルフに意識を向けてみて、
ハイアーセルフと意図的につながろうとすることは、
こうしたより良い状態へと続く「扉」を開くことになるのです。
ハイアーセルフとつながるとどうなる?
実は、ハイアーセルフとつながることには、
つながらない人生では得られないメリットがあります。
仕事を例に取ってみましょう。
仕事や職場に対する不満やイライラ、怒りを覚えながら嫌々取り組むのと、
喜びや感謝、明るい展望を持ちながら、楽しく意欲的に取り組むのでは、
精神状態はもちろんのこと、仕事の成果や人間関係などにも、
大きな違いが生まれるでしょう。
喜びや感謝と共に仕事をすると、満足感や達成感、ご自分のセルフイメージが向上しますし、
周囲に与える印象や、周囲から受け取る評価も、おそらく格段に良いものとなるはずです。
ビジョンを持ち、意欲的に仕事を進めていくと、効率がアップし、
潜在的な能力が十分に発揮されて成果が上がり、
次のステージにも楽々と進んでいかれます。
では、子育てや介護をされている主婦の方の場合はどうでしょうか?
何をするにしても、明るく、楽しく、人に優しく接することができるのに加えて、
より良い工夫や知恵が発揮されます。
ルーティンとか、つまらない単純作業だと思っていたことに、
興味深い側面を見出したり、新たな方法を思いついたり、
やりがいを実感できたりするかもしれません。
職業や立場にかかわらず、どんなところで、何をしていたとしても、
体験や出来事や他者の言動を、より広い視野から深く洞察したり、
自分の思考と行動を認めて、ご自分らしい見方ができたり、
健全な自己愛と周囲に対する愛を持って接することが可能となります。
このように眺めてみると、ハイアーセルフを知りながら、
ハイアーセルフとつながらずに生きることは、
もったいないことかもしれない…と感じられるのではないでしょうか?
人間は、生まれてから亡くなるまで、
たゆまず成長を続けていくと言われます。
人生経験を積み、年を重ねながら視野を広げ、
自然に発展、進化していきます。
特に何も意識しなくても、成長はしていくものですが、
もしも意識して、意図的、能動的に成長や発展、進化を目指してみたら、
どうなることかと想像してみましょう。
人生にはいろいろな可能性があります。
1つ1つの選択によって進む道筋が変わり、未来の風景が変わります。
ハイアーセルフとつながること、
ハイアーセルフと一体となって、ハイアーセルフとして生きることは、
自分の中の最高の可能性を生きることにつながることでしょう。
ハイアーセルフは怪しいスピリチュアル?
ハイアーセルフはスピリチュアルなものだから、
怪しい…と感じられている方もあるかと思います。
いわゆるスピリチュアルとは、たいへん幅広い概念です。
占い、霊能力、目には見えない神秘な力、不思議な現象など。
たしかにその中には怪しいものやいかがわしいもの、
現実逃避的なものも含まれているかもしれません。
しかしながら、本来、スピリチュアルは、体や心と共に人間の中に在る「霊性」に着目し、
人生をよりよく生きるためにそれを意識したり、理解したり、
役立てたりすることが出来るものだと思います。
人格自我を越えた高い自己という自分のパート(一部分)を想定することで、
よりよい人生や人間関係を実現する手がかりが得られるのならば、
メリットがあるはずです。
拒絶するよりも、むしろ柔軟に対応するほうが得策なのではないでしょうか?
さらに言えば、ハイアーセルフは、霊能力や不思議なパワーとは
全く関係がありません。
私はヒプノセラピー、多次元セラピーという心理療法の手法を用いて、
ご希望に応じてハイアーセルフをテーマとするセッションをしています。
ハイアーセルフは、どんな方にも例外なくあり、
心理学上の「超自我」と同一のものとみなすことも出来ます。
セッションでは、その方のハイアーセルフと出会い、対話をするのですが、
これまでに、会えなかった、いなかったというケースはありませんでした。
どんな方でも、ご自分のハイアーセルフとコンタクト出来ていますので、
特殊な技術や能力とは無関係なのです。
五感ではとらえられないものの、神秘とは言い難く、
心や深層意識、潜在意識などに類するもののように思われます。
ハイアーセルフを拒絶する
数年前のことになりますが、
目に見えないエネルギーを用いるヒーリングは好きだけれど、
ハイアーセルフは 「NO!」 という方とお会いしたことがあります。
仮にAさんとしましょう。
Aさんに理由をお聴きしてみると、
「ハイアーセルフには、私の人生に関わって欲しくない、
私は自分の力で何とかしたいので。」という意味のことをおっしゃっていました。
その言葉からは、ハイアーセルフに対する敵意が伝わってきました。
ホリスティックヒーリングのセッションでは、
その方のハイアーセルフとつながってヒーリングを致します。
もしもヒーリング中に、ハイアーセルフからメッセージを受け取った場合には、
ヒーリング後にそれをその方にお伝えしています。
ある時、Aさんに、ハイアーセルフからのメッセージをお伝えしたところ、
「そんなお釈迦さまやイエス・キリストのようなことを言われても私には無理!」と
拒絶されてしまいました。
ハイアーセルフは、その方の内側の最高次元の自己、
たとえるならば、まるで神さまのような高い意識の部分です。
ですので、メッセージは、その方の現時点での状態(実態)ではなく、
起こり得る最高最善の可能性について示唆する言葉を含むことがあります。
Aさんのように、はっきりと拒絶感を示されることは、
これまでの私のクライアント様には無かったことでした。
拒絶のおおもとを探っていくと、まず行き着くのは、
自分はお釈迦さまやイエス・キリストのような偉大な存在ではないし、
今後もそうなるはずがないという断定です。
そのように思われる背景には、低い自己価値や自己愛、
自尊心(自分を尊重する気持ち)、そして自己卑下の問題などが垣間見えます。
将来に渡って、かたくなに変容や進化の可能性を閉ざしているようです。
また、誰か(何ものか)に支えられたり、助けてもらったり、
助言を受け取ったりすることを嫌がっているようです。
もう一つ背後に浮かび上がるのは、権威に対する姿勢です。
どうやらハイアーセルフを権威ある存在と同一視しているようです。
権威といえば、まずは両親、学校の先生、成人後は職場の上司や社長などですが、
厳格な親や支配的な親、コントロールする親との関係によって、
幼少期に心を傷付けられた体験があると、
その後の人生において、学校の先生や職場の上司など、
権威ある存在との人間関係が上手くいかなくなることが少なくありません。
幼い子どもにとって、親は、まるで神のように全能で絶対的にパワフルな存在です。
無理解で厳格で支配的な親を、無意識に先生や上司に重ね合わせ、
その投影によって、ちょっとしたことで相手に怒りや恨みが湧いたり、
嫌悪や無用な反発、攻撃欲などを覚えたりしやすいのです。
ハイアーセルフに拒絶感を覚えることがあったら、
幼少期の親子関係と権威について、一度振り返ってみると良いかもしれません。
ハイアーセルフは権威ある存在?
念のためにお伝えすると、
ハイアーセルフは、権威を振りかざしたりはしません。
いつでも無条件の愛をもってその方をあたたかく見守り、
決して批判や非難、ジャッジをすることはないのです。
たとえその方が、まずい選択や愚かな失敗をしてしまったとしても、
そのことを責めたてたり、失望したり、嘲笑したりはしません。
次の機会には、より良い選択が出来るように、辛抱強く見守ってくれています。
このように書くと、どこまでも底なしに受け入れてくれて、
甘やかし過ぎだと思われるかもしれませんが、
そういうことではありません。
その方が自分の力で模索して乗り越える必要があり、
そのことによって成長するのであれば、
先回りして安易にその答えを与えたりはしないのです。
叡智と洞察、広い視野、バランスのとれた判断力、先見性を具えながら、
それらを使って、いつでも何でも答えをすぐに教えてくれるわけではありません。
「ハイアーセルフは神のような存在」と説明すると、
そこから宗教的な神を連想し、
たちまち権威と結び付いた姿をイメージしてしまいがちなのですが、
私たちは、君臨し統括する権威に従属しているわけではありませんし、
ハイアーセルフと私たちとの関係は、
主従関係とはほど遠いものであることをご理解いただければと思います。
さて、ハイアーセルフを拒絶するか否かは、
もちろんその方のご自由ですので、
セラピスト、ヒーラーとしては、全てを尊重します。
ですので、Aさんに向かって、直接、何かをお伝えすることはありません。
が、この記事は入門ガイドということなので、
世の中の、ハイアーセルフに拒絶感を覚える方々に、
次のようなことをお伝えしたいと思うのです。
◇ハイアーセルフに権威ある存在を投影するのは見当はずれであること。
(投影は無意識に行われていることですので、
まずはそのことに気付いて癒す必要があるかと思います。)
◇現在のご自分の中の低い自己(のみ)にフォーカスしているのならば、
自己の低い部分と同時に、より高い部分(ハイアーセルフ)もまた
既にその方の中に存在していること。
◇お釈迦さまやイエス・キリストのような気高さや偉大さもまた、
私たちの自己の中には、既に存在していること。
その部分がハイアーセルフと呼ばれるパートであること。
◇ハイアーセルフとつながることが、
よりよい人生や良好な人間関係を実現するのに役立つこと。
人間であれば、例外なく、どなたの自己の中にも、
より高い自己(=ハイアーセルフ)はいるのです。
ハイアーセルフとして生きる
全ての人の中に、まるで神のようなハイアーセルフがいるのならば、
なぜ暴力、虐待、窃盗、殺人など悪事に手を染めてしまう人がいるの?
…そんな疑問が湧いてきませんか?
答えはシンプルです。
自己のうちのどの部分を表現するか? (表現しているか?)
どの部分を生きる選択をしているかということになるでしょう。
私たちは、ハイアーセルフではない自己、
たとえば比較的低い自己を表現することも、簡単に出来るのです。
低い自己こそが自分(の全て)であるというセルフイメージを
持っている方もいらっしゃるかもしれません。
では、低い自己としての表現を選択した場合に、何が起こるでしょうか?
後悔、罪悪感、不快感、怒り、自己嫌悪、自己価値の低下、暴力、裏切り、いじめ、
犯罪、破壊行為、虐待、人間関係の崩壊、家族の問題、失職、自殺…など、
容易に想像が出来ると思います。
どちらも選択できるのですから、これは選択次第であると言えます。
意識的に選択をすること自体、そもそも簡単ではないかもしれません。
というのは、私たちは、多くのことを無意識に(無自覚に)選択しがちだからです。
その場の雰囲気や、相手の言動に反応して何かをしてしまう…、
じっくりと検討したり吟味したりせずに流されてしまうことは、よくあることです。
低い自己と高い自己(ハイアーセルフ)とのどちらを表現するか、
どちらにフォーカスして生きていくのか、
この記事を読んでくださっている方は、どちらを選択されるでしょうか?
私たちは皆、自由意思を持っています。
私たちの大多数は、通常の自己の状態から、
時にはハイアーセルフとつながった状態となり、また通常に戻り、
時にはハイアーセルフと距離が大きく開いた状態となり、
また通常に戻り…ということを、緩やかに繰り返しているのかもしれません。
ハイアーセルフとつながった状態が少しずつ増えていき、安定して長く続くようになり、
最終的に、いつでもハイアーセルフとつながっている状態となったら、
「ハイアーセルフとして生きる」ということになるでしょう。
そうなった時、人生や周囲の人々との関係、仕事や家庭生活は、
どんなふうに変容しているでしょうか?
ハイアーセルフに関連するセッションやセミナー、ワークショップは、
ハイアーセルフとつながることを、
意図的に選択したいと望む方をサポートするものとして提供されています。
- ハイアーセルフに会いに行くワークショップ
- ハイアーセルフとつながるセッション
- ハイアーセルフと共に進めるヒーリング
- ハイアーセルフからアドバイスやメッセージを受け取るセッション…などです。
今はまだ、ハイアーセルフを受け入れているわけではないし、
自分の中に神のような部分があるとは想像できないけれど、
興味が湧いてきたという方、探求してみたい方、
ご自分のハイアーセルフに会いに行ってみたい方は、
お試しいただければと思います。