本当は「問題を抱えた人」ではないクライアント

ホリスティックヒーリングのウェブサイトを作ろうとしていた時、

ヘッダーに書く言葉で悩みました。

最初のところを見ていただけたら

お分かりいただけるかと思うのですが、

生き辛さ、トラウマ、人間関係のもつれ、

親子関係の問題…などの言葉が並んでいます。

もしかすると、生き辛さを抱えたあなたはクライアントで、

それを癒す私はセラピストですよ…と断定しているかのように

見られてしまいそうです。

トラウマを抱えたクライアント、人間関係がもつれたクライアント、

親子関係に問題を抱えているクライアント…。

そんな言い方をしますが、本当は、そうではないのです。

けれども、このような言葉によって、

世の中では、多くの方々から、

一定の理解を得られるようになっているため、

このように書くしかありません。

私は、問題を抱えたクライアントの方と向かい合う、

セラピスト・ヒーラーという特別な人ではありません。

今、たまたま生き辛さを覚えている方や、

今生、たまたま親子関係の問題があると感じてお悩みの方と、

全く同じところに立っている人間なのです。

私も、過去に生き辛さを覚えたことがあり、

今も時々、生き辛さを覚えたり、

親子関係でもいろいろと考えさせられることがあります。

親を看取った現在でも、同じです。

何が言いたいかというと、

悩むことは、どんな人にでもあること。

全ての人(と言ってしまいましょう)が、どこかしらに

癒されるのを待っている領域を持っていると思っているのです。

パンを焼くのがとても好きで上手な人が、

必ずしもパン屋さんになるわけではないように、

とても速く走れる人が、

必ずしもオリンピック出場を目指すわけではないように、

癒しに長けた方が、

全てヒーラーになっていくわけではないことを

よく理解していますが、

私は、ほかの方の癒しのサポートという仕事を選び、

今に至っています。

悩む方を高みから見下ろすつもりなど、全くありません。

ですので、自分のことを棚に上げて、

悩みを抱えている方=クライアントと受け取られかねない表現は、

本意ではないのです。

では、なぜ、生き辛さを抱えている…とか

親子関係で悩んでいる…と言うと、

伝わりやすいのでしょうか?

おそらくそれは、その方ご本人が、

「ボクは生き辛さを抱えている人」

「ワタシは親子関係で悩んでいる人」

…とお考えになっていることが

たいへん多いためかもしれません。

私がとても魅力を感じているセラピー手法の一つに、

ナラティヴセラピーがあります。

その基本的な考え方は、次のようなものです。

「人間が問題なのではない。問題が問題なのだ。」

自分が生き辛いところから、

自分は生き辛さを抱えた人であるとみなし、

さらには、生き辛さで悩んでいるダメな自分…というふうに、

人は、往々にして、その問題の中にはまり込んでしまうことがあり、

そうなると、私イコール生き辛さ になってしまいます。

けれども、本当はそうではないのです。

あなたはイコール生き辛さではありません。

ナラティヴセラピーでは、いかにもセラピスト然とした態度で、

クライアントの方と接することもしないので、

その部分も心惹かれる所以です。

先日、このブログで取り上げたヒプノセラピーでも

それは同じで、上から目線ではなく、敬意と尊重を大切にします。

私たちは、

今日、たまたま相談したいと思って来室されたあなたと、

今日、そのご相談をお聴きして、

癒しのサポートが出来たらなと思っている私です。

その関係には、本来、優劣もなければ、特権もないのです。

そこで思うのは、このことを上手く言い得ているうえに、

ウェブサイトに向いていて、皆さんにもわかりやすい、

良い表現や言葉はないものだろうか…ということです。

キーワードで検索されるのが当たり前の現状では、

生き辛さとか、トラウマとか、お悩みと、

どうしても書かなくてはならず、

そのことは、私にとって、

喉に引っかかる魚の小骨のような違和感を生むことになるのです。