スピリチュアルペインは終末期だけでなく…

よみドクターに掲載された桜井なおみさんの記事に、

共感を覚えました。

https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20170308-OYTET50026/

桜井なおみさんは、30代でがんの診断を受けたのですが、

その後、お仕事を辞めることになった時の辛い心境を

この記事に記しておられます。

それは、まさに社会的な死、ソーシャルペインであり、

同時にスピリチュアルペインでもあったと言われます。

働くことが、その方の重要なアイデンティティーである時、

社会的な死は、その方の人生と存在価値そのものを葬る

途方もなく重いものとなり得るのです。

私は、自分自身が相当な仕事人間であるという自覚を持ち、

人生の中で、他者の癒しのサポートに関わる今の仕事が

きわめて大切なものだと考えているため、

もしも病によってその道が閉ざされたならば…と

想像しただけで、ため息が出てしまいます。

ですので、桜井さんがその時、どのようなお気持ちであったのか、

本当に理解が出来ますし、心が痛むのです。

桜井さんの文章の中で、特にシェアしたいのは次の部分です。

かぎカッコ内に引用します。

「私は、スピリチュアル・ペインは死の間際の人だけが感じる痛みではないと思っています。実存としての自分が消える、消えたときの苦しさは、生きている間にも感じることが時としてあると思っています。」

心の不調を抱えて、将来に希望が見えず、生きる気力を持てない方々と

セッションルームでお話していて思うのは、まさにこの実存的な苦しみ…。

自分は、一体何ものなのか?

自分の人生は、何だったのだろうか?

極限的な状況で、ご自分の心と向かい合わざるを得なくなり、

根源的で深い問いかけが発せられるのです。

死は、今でもタブーとして、多くの人々の日常の意識から

遠ざけられていることが多いように感じますが、

どんな方にもいつか必ず訪れるものであることは

間違いありません。

それならば、意識の外に追い出しひとときの安心を得るよりは、

まだお元気で気力も体力もある人生の最盛期から、

死を受け入れ、深く考え、ご自分らしい死生観を持ち、

悔いの残らない人生のために、

今、出来ることを精一杯行っていくことが重要であると、

私は、常々、考えてきました。

トラウマ的な体験や、挫折、リストラ、我が子の死、自然災害など、

人生には、何が起こるかわかりません。

その方にとって、比類なく大切なものや人が、

脅かされたり、破壊されたりした時、実存的な危機が訪れます。

すなわち、スピリチュアルペインは、死の間際だけのものではなく、

さまざまな要因によって、

いつでも生じる可能性があるということになります。

スピリチュアルペイン (=、霊的(スピリチュアル)な痛み) は、

ご存じのとおり、肉体的(フィジカル)痛み、精神的(メンタル)痛み、

社会的(ソーシャル)痛みの3つと共に、

トータルペインとして提示されています (世界保健機関) 。

終末期を迎えた方がおられる現場において、

たいへん過酷な状況の中で、

医療分野の方々が、その専門性を駆使しながら、

全力を尽くしてケアを続けておられることは間違いないことです。

しかしながら、心理療法セラピストとしての立場から見ると、

精神的(メンタル)ペインと霊的(スピリチュアル)ペインに対して、

行えること、行うべきこと、行ったら良いことがまだあると

思われてなりません。

それは、日常、セッションルームの中で

クライアントの方の心の深層と向かい合いながら続けていく

セラピストの仕事と、つながり合っていることだと思われるのです。

スピリチュアルペインとメンタルペインを癒すことは、

桜井さんが書いておられように、

死に際だけに必要となることではありません。

良く生きることの延長上に、良く死ぬことがあるのならば、

なおさらそう思われます。

私は、全ての世代の方々に、その方の必要やご希望に応じて、

スピリチュアルペインとメンタルペインを癒す仕事を

続けていかれたらと考えています。

とりわけご高齢の方、終末期の方に対しては、

スピリチュアルペインを十分に癒すための手立てを

丹念に模索して練り上げ、

その方に合わせて適切に方法を選択し、

丁寧に提供していくことになるでしょう。

コメントの入力は終了しました。