大和・生と死を考える会 25周年記念講演会 が
シリウスにて、昨日、開催されました。
午前、午後を通じて、講演、音楽、舞踊、朗読劇など、
充実した多彩な内容で、有意義な一日を過ごさせていただきました。
死と終末、グリーフケアなど、興味深いトピックスばかりでしたが、
中でも印象に残ったのは、チャプレンとして
長年、実践を続けてこられた沼野尚美さんのお話です。
大地震があったばかりの大阪から、早朝にお越しになったとのこと、
60代後半とは思われない快活さと関西特有のユーモアあふれる語り口に、
引き込まれました。
ある時、沼野さんがお会いした一人の若い終末期の患者さんは、
看護学校に通う女子学生だったそうです。
「万が一、奇跡が起こったら、私は、並みのナースにはなりません。
スーパーナースになります。」とその方はおっしゃったそうです。
まだお若くて、高い志を持ち、人生において成し遂げたいことが
山ほどあった中でのご病気、さぞや無念だったことでしょう。
しかもナースの卵であることから、
ご自分のご病気がどのようなものであるかも、
普通の人以上によく理解でき、冷静に受けとめておられたことでしょう。
この短い言葉の中で、私たちがどこに着目し、
何を考えていったら良いのか、
沼野さんは、的確にそのポイントを語られていて、
たいへん深く共感しました。
特にここでご紹介したいと思ったのは、人生の苦難にぶつかった時、
そこで何を想像できるかということが、
最期まで自分らしく在るためには、とても重要であるということ。
苦難と向き合わざるを得なくなった時、
その苦難だけを見つめていたのでは、
気力を奪われ、落胆や絶望に陥ってしまうだけでしょう。
けれども私たちが希望を持ち、
良いことを想像する意思を持つならば、
終末期を迎えた方も、それをサポートする立場の者も、
自分を見失って取り乱すことはなくなるのです。
希望と想像は、若くて元気で、何も怖れがなく、
人生の最盛期にある時には、
とても簡単でシンプルなことに思われるでしょう。
次第に衰えていく体や、狭まっていく人間関係と居場所、
あるいは治る見込みがほとんどない病気にかかった時、
それでも希望と想像力を持ち続けるのは、
どれほど精神力の要ることでしょうか?
自分が終末期を迎えた時、
果たしてそれが可能だろうかと考えさせられます。
沼野さんは、緩和ケア病棟のチャプレンをされていますので、
信仰心ということも、お話にありました。
人間の力ではどうしようも出来ない事態となった時、
人は、神頼みをしたくなるものです。
人間を越えた大いなる力に、奇跡を願い、
救いを求めようとするのです。
そこで、日頃から、見えない世界に目を向けて置くと、
いざとなった時、大いなる力によって、
心の平安と穏やかさを得られるかもしれないと
沼野さんはおっしゃっていました。
現代日本のホスピスでは、キリスト教や仏教など、
宗教関係の方々の献身と尽力、
さらには大いなる力へと人を導くサポートによって
たくさんの方々が救われてきたことは間違いありません。
宗教的な導きが、その(終末期の)方にとって良いものであるならば、
それでよいと思うのですが、中にはそうではない方もあるでしょう。
そんな時に、宗教や宗派を越えた上質なスピリチュアリティがあれば、
その方の心をとらえ、支える力となり得るのでは…と私は思っています。
むしろそういうもののほうが容易に受け入れられる…
という方が、増えているようにも思われるのです。
たとえば、人間の魂は永遠であり、輪廻転生を繰り返し、
またここに戻ってくるという考え方があります。
また、先に旅立たれた親しい方々と、
魂の世界で再会を果たすことが出来るという考え方があります。
いずれもヒプノセラピーや前世療法のセッションでは、多くの方々が、
潜在意識にアクセスして、(イメージ世界で)リアルに体験されていることです。
そこには、絶対者である「神」は不在ですが、
この上ない安心感と希望をもたらしてくれる可能性を持っています。
また、私がお伝えしている現代レイキ(現代霊気法)は、
宗教とはもちろん関係がありませんが、
人間は、体や心を越えた壮大な小宇宙であり、
小宇宙である人間が、大宇宙の高次元の調和と共振共鳴して
癒され調和を受け取ることが出来る…
という考え方に基づいています。
大宇宙とは、深山や大海、人間を越えた大いなる大自然と
考えていただいてもよいでしょう。
一つの宗教に偏らない、より普遍的な世界観、
日本人の心のベースに根付いている大自然への回帰は、
人間が、何らかの方法によって救済されるというのではなく、
また亡くなったら無となるというものでもありません。
人もその一部である、自然そのものとしての営みには、
いかなる努力も不要であり、無条件の受容だけがあります。
大自然、大宇宙の懐に抱かれている安心感を持ち続けて、
それを希望として、心の平和と共に、前に進んでいく…
特定の宗教に拠らないそんなエンディングサポートを、
必要に応じて、行っていかれたらと考えています。