心残りが辛過ぎて…

演歌の歌詞のようなタイトルになってしまいましたが、

そういえば、細川たかしさんのデビュー曲が、

あの大ヒットした「心のこり」。

 

「私バカよね~」という印象深い歌い出しで、

題名が「心のこり」とは、

よくマッチしていて、今も記憶に残っています。

 

歌の話はひとまず置いて、

今まで生きてきて、心残りがない…という方は、

おそらくいらっしゃらないだろうと思います。

 

良かれと思って行動したり、言葉をかけたり、

あるいは良かれと思ったから行動しないでおき、

胸にしまって言わずにおいたことが、

後になって心に引っかかり、苦しむことがあります。

 

その時点では、当然、それが良いと判断したことなのですが、

時と共に人の心は変わり、相手の心も変わり、

そして状況も変化していくのです。

 

ないほうが良いに決まっている心残りですが、

後で丹念に吟味してみて、やはり違う選択をすればよかった、

あんなことを言うべきではなかったと気付く時、

それを次の機会に活かすことも出来ます。

 

そこには苦々しい気持ちや、後悔、自戒、

罪悪感などが混じっているかもしれませんが、

出来事から気付きを得て、未来のより良い選択に結び付くとしたら、

それは意義あることだと思うのです。

 

ところが、厄介なことがあります。

 

心残りが、心残りと自覚されないまま、

水面下にとどまってしまうことです。

 

こんな経験はありませんか?

 

何となく気が向いて、ある観光スポットを訪れてみたら、

思いのほか感動を覚え、心が満たされて、

ああ、ここに来られて良かった…としみじみ思うのです。

 

そして、分かるのです。

本当は、ずっと前から、ここに来たかったのだ、

ちょっとした心残りがあったのだ…ということが。

 

行動したり、言葉で伝えたりしてみてはじめて、

意識されていなかった本当の気持ちに気付くということが起こります。

 

人の心は複雑です。

 

心残りや自責などが、その方にとって、重くて深刻であればあるほど、

その重さに耐えられず、無意識に抑圧して、

心にくすぶっていた思いなど、

最初から無かったことになってしまうのです。

 

心残り、後悔、自責、自虐などは、重いエネルギーとなって、

パフォーマンスを低下させてしまいます。

本来の資質や能力を発揮出来ないことがあったり、

とっさに足元をすくわれてミスにつながったり…。

 

時にはその心残りが、不慮の事故やトラブル、

あるいは心身の不調となって表面化してくることもあります。

そんなことになったとしてもなお、

心残りそのものには、気付かれないままかもしれません。

 

「悔いのないようにやりましょう」

「今、この時を、精一杯、生きていきましょう」とよく言いますが、

そんな心がけで前向きに生きていても、

思うようにいかないことは起こります。

心残り、後悔、残念な気持ちになってしまうことは、

生きていたら、避けられないことなのではないでしょうか?

 

自分のことを振り返ると、半世紀以上、生きてきて、

子どもの頃や若い頃に比べると、心残りが減りつつあり、

経験から学び取り、賢い選択をすることが、

少しは出来るようになってきているかしら…? と思いますが、

そうであっても、もしかして核心に触れるような大きな心残りは、

心の深層にひそんで、今も気付かれるのを待っているかもしれません。

 

これはとても重要なことになりますが、

もしも今日、この世を去ることとなってしまったら、

その心残りは、どうなるでしょうか?

 

心残りや後悔は、もう二度と日の目を見ることはありませんし、

何らかの形で解放に向かい、すっきりして心が落ち着くことも無くなります。

 

予期せぬ最期、突然のお別れは、残された方々に衝撃を与え、

取り返しのつかない心残りを与えてしまうかもしれません。

 

さらに、突然、この世を去ることとなってしまったご本人のほうは、

恐ろしいまでの心残りを抱えたまま、

あの世に持ち運んでいくことになってしまうのです。

 

それはもう、言葉では表現できないくらい重く、苦しく、

切ない心残りとなるでしょう。

 

私は、時々、そんなことを想像してみます。

 

そして、終末期の病床や、もう死ぬのだと分かった刹那に、

途方もない心残りが突然、表面化してきたら、

取り返しのつかない焦燥感に圧倒されてしまうだろうと

思わざるをえないのです。

 

あの世に旅立とうとする方が、心残りや後悔を残さないで

穏やかな心持ちで過ごされることは、本当に大切なことであり、

理想的な最期を迎えるのに必要なことです。

 

宗教の慣習や信仰の場においては、導く立場にある方が

その方のお話を聴いて差し上げることがありますし、

日本国内のホスピスでも、キリスト教や仏教の方が

その役割を担われているところがあるようです。

 

若い頃には、たとえ少しばかりの心残りや後悔があったとしても、

人生の途上でいずれは解消されていき、

納得のいく、より良い未来に続いていくだろうと、

多くの方々は思われているのではないでしょうか?

 

実際には、年を重ね、シニア世代となられてから、

あるいは死が視野に入ってきてから、

やり残したことに気付かれて愕然としたり、

極端な例では、最期の瞬間に、ふいに気付くことがあったり、

亡くなったあと、魂となってから気付きを得たりすることが

少なくないのでしょう。

 

心残り、後悔、罪悪感、自責、残念な気持ちは、

あなたが何歳であったとしても、今すぐに光を当てて、

向き合い、受け入れ、癒し、解放することが可能です。

 

最期の瞬間に、「悔いは何もないです」という心境が理想ですが、

それはなかなか難しいことです。

 

光輝く満月のような心境には到達しなかったとしても、

それを目指して、今、出来ることがあります。

 

あなたの人生にとって、

大切にしている信念や、かけがえのない誰かに関わることで、

何か心に引っかかることがあるならば、

先延ばしにしないで解放し、

背負う荷物は軽くしておきたいものです。

 

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