自己実現って何? 自分にとっての真実を生きるには

「もっと自分らしく、自己実現、望む未来を創る」

…これは、私の名刺に書いた言葉の一部です。

 

先日、NHKのラジオ番組で、「自己実現」という言葉を聞いたのですが、

社会的な成功というニュアンスが感じられ、

話し手が、どのような意味で使っているのかしらと、

少し気になってしまいました。

 

自己実現…って何となく分かっているような言葉ですが、

よく考えてみると、本当は、何が自己実現だと言えるのでしょう?

 

私が、自分の名刺にこの言葉を記した時、そこに込めた思いは、

あるがままの自分を受け入れ、認め、

自分が納得できる在り方を実現している状態を

目指すお手伝いをしたいということです。

 

そこには充足感と喜びがあり、(自分は)これで良いのだ…という

確信があることでしょう。

 

すなわち、良い学校に入り卒業すること、正社員になること、

家庭を持つこと、(特に女性は)子どもを産み育てること…などが、

自己実現であるとは、必ずしも言えないと思うのです。

 

経済的な自立、社会的な成功、財力、地位や名誉などとは

ほとんど関係がありません。

 

また、組織の中で成果を上げ、認められて、

それなりのポジジョンを得ることでもないのです。

 

人は、一人ひとり、ユニークな存在です。

 

この人生で何をしたいのか? どこに向かって進んでいくのか?

その人にとって、いちばん大切にしたいこと、

価値や意義を見出せることは、いったい何なのか?   

…ということは、一人ひとり、異なっているはずです。

 

そうなると、Aさんが、「自分は見事に自己実現した」と思っていても、

Bさんが、それを見て、自己実現しているとは思えない可能性も

あるでしょう。

 

自己実現したのか否かは、ご本人にしかわからないからです。

 

客観的なものさし(肩書、地位、経済力、資産、人望、人脈、実績)よりも、

むしろ主観的な満足や納得、安心、自尊心、心か満たされ

平和であることなどが、重要な要素となるでしょう。

 

以前、あるセミナーで、ご一緒した初対面の方から、

職業を訪ねられて、

「セラピストです。」と答えました。

 

すると、その方が、少し遠慮がちに、

「え? (そんなにやる気があるのに)

なぜ世の中に貢献することをしないのですか?

と言われたので、驚いてしまったことがあります。

 

私は、セラピストとして、たとえ細々ではあっても、

セッション、セミナー、スクールなどで、

他者の癒しのサポートをさせていただくことに、

心からの喜びと充足、誇りを持っていますので、

返す言葉が見つかりませんでした。

 

その方は、知性と教養を具え、あるNPO団体のトップとして、

仕事と家庭を両立されている方でした。

(私のやる気を認めていただいていますし)

もちろん悪意などは無いのでしょう。

 

そこで、私は気付きました。

この方の価値観、世界観では、多くの人々を束ねたり、動かしたりして、         複数の人々に影響を与え、「社会の役に立つ」と                    大勢の人々が明確に認めていることこそが、立派な仕事であり、             自己実現と呼べるのだということです。

 

セッションルームにおいて、主にマンツーマンで、

心の癒しやケアをするセラピストの仕事は、

どうやらその範疇には含まれないようです。

 

いろいろなことを考えさせられ、強く印象に残った出来事でした。

 

ここで、ポイントとなるのは、

まず、「自己実現は、仕事とは限らない」ことです。

お仕事の領域以外の何かで、自己実現することは、もちろんあるのです。

 

もう一つのポイントは、仕事の「社会貢献」という側面です。

これについては、例外なく、あらゆる職業が、

社会貢献につながっていると私は考えています。

職業に貴賤なしと言いますが、社会に貢献しない仕事というものが

果たして存在するでしょうか?

 

自治体や国、大きな組織を動かし、多くの人々を対象とすることだけが、

社会貢献なのだとは言えないでしょう。

 

さらに、大切なことは、

いくら自己実現を果たし、日々を有意義に過ごしていたとしても、

自分の価値観を、他者に適用することは出来ない」ということです。

 

どのような状態が、あるがままの自己肯定、自己受容、

生きている喜びと満足をもたらすかは、人によって異なるわけですので、

自分にとっての自己実現が、必ずしも、相手にとっての自己実現と

なるわけではありません。

 

友人、知人ではなく、親子や親族の場合、

このことは、とりわけ大切なことになるでしょう。

 

たとえば親御さんが、堅実な公務員として、破綻なく家族を養うことこそ

自己実現だという生き方を選択している場合、

子どもに対しても、同じことを期待してしまうのは、よくあることです。

 

そこで、子どもが登山家になったり、ユーチューバ―となったりしたら、

親御さんは違和感を覚えたり、落胆されたりするかもしれません。

 

世の中で、脚光を浴びる仕事や、社会的な地位の高い仕事であるほど、

この親からの期待は、大きくなりがちです。

 

…ということで、自己実現と言うと、

どうしても、職業という要素が見え隠れしてしまいますが、

ボランティアやライフワーク、社会運動、宗教に入信すること、

家族を支える専業主婦、何もしないでゆったりと過ごすことなども、

自己実現となる場合があるでしょう。

 

その方が、持って生まれた資質を発見して活かし、

心の深層や魂のレベルで深く納得し、

これこそが、偽りなく自分がしたいと望むこと、                    こう在りたいと思い描くこと…                            それを実現できた時、どれほどの安らぎや心の平和を得られるか、

ちょっと想像してみて下さい。

 

自己実現するための最初の一歩は、自分を知ることです。

自分にとっての真実とは何か…? ということです。

子どもの頃、絵を描くのが好きだとか、昆虫を見るとワクワクするなど、

既に心を惹きつけるものに気付いていたとしたら、素晴らしいことです。

 

趣味のサークルやスポーツのチーム、部活動などで、

楽しいと感じることを、思いきりしてみると、

その先につながっていく何かが見つかることがよくあります。

 

大人になって、社会人として過ごしていても、

本当は何をしたいのか、何が自分にとって大切なのか、

よくわからないということもあり、

セッションでご相談を受けることがよくあります。

 

親御さんの期待と、その方の望みが相入れずに、苦しむことも…。

 

さらに男性に多いのですが、

親御さんではなく、社会的な期待、組織内での期待、家庭内での期待と、

その方がこう在りたいと願うものにズレが生じて、

板挟みとなってしまうことが少なくありません。

 

自分ではない誰かの期待、誰かの価値観に沿って、

生き方・在り方を選択していくと、

いずれどこかでほころびが生じます。

 

葛藤、怒り、無気力、心身の不調などが現れるのは、

本当の自分でありたい欲求、自分にとっての真実を生きること、

本来の自分らしさを回復しようとするためのシグナルかもしれません。

 

これは大切なことですが、あまり知られていないのは、

本当の自分として、その望みや資質を生きることこそが、

周囲の人々や社会にとっての、最大の貢献となるということ。

 

皆さんは、どのように思われるでしょう?

 

本当の自分とは、なかなか厄介なものです。

本当の自分だと信じていたものが、実はそうではなかったと愕然とする…

衝撃的な展開ですが、そうなったら、それは

自己理解への大きなチャンスとなるかもしれません。

 

資質、才能、パーソナリティ、心の深層にある望みなど、

ご自分をよく知ること、自己理解すること。

 

そしてあるがままでご自分らしく、                          自己肯定し、望む未来を実現すること。

 

それが何であれ、心の深い部分でOKを出し、                      納得できること。

 

そんな自己実現を果たすために、                           少しでもサポートさせていただけたらと願っています。

 

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